奇跡のコース

心底、休むとは、夢見る私を安らわせること

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今私は目の充血と腫れぼったさと、時々訪れる痛みに悩まされてる。

大学にいた頃からのおなじみの症状。
原因はどうやら免疫不全にあるようなので、ほとんどの薬は効かないし、
できることといえば、涙が出て、目のデトックスを促す気功のポーズをとることと、
つとめてリラックスして、休むことくらい。

もちろん、パソコンを使った仕事は最小限にして、数分ごとに目を休ませるようにしてる。
でも、それより大切にしているのは、心を休ませるようにしていること。体を休ませるのと、心を休ませるのとはどう違うのかな? 

たとえば、身の回りがざわざわと落ち着かなくても、自分の身体だけ休ませるのは、理論的には可能だ。

でも心が休む時、一人で休むことはできない。
身の回りのすべて、世界のすべてが、安らぎ、和らいで見えてくるからね。

うれしいときには、すべてが薔薇色に見えるように、
私の心が休む時、私の世界全体も休む。

なぜだろう?

いろんな説明がなりたつかもしれないけれど、
私が好きなのは、古代インド哲学から、シェークスピア、コースを貫く
人生を夢と考えるやり方だ。

つまり、人生全体が夢だったら、身体も私も夢の一部にすぎない。

でも夢見る「心」の中には、私の見る世界全体が含まれている。
その心をなだめて、リラックスさせて、
身体が病気で苦しむ悪夢を見るのは、そろそろ卒業して、もっとやさしい夢をみようよって、誘うこと。

それが「心」をリラックスさせることだって考えるんだ。

というわけで、目が痛むたびに、身体だけでなく、身体ひっくるめすべてを夢見る「心」を休ませるように、心がけてる。

うまくいったかって? いかない!(笑)

自分でできることじゃないから。まるでそれは自分で自分の髪の毛を引っ張って宙に浮かせるようなこと! 不可能なんだ。

でも、大丈夫。助け手がちゃんとついてるから。

世界という、人生という夢を夢見ながら眠る私たちの傍らには、
やさしく全てを見守りながら、安心して目覚めるのを助けてくれる存在がすでについてくれてる。その手を借りない手はない。

まるでベッドで悪夢にうなされる子供を優しく撫でながら「大丈夫よ」って耳元でささやいてくれるお母さんのような存在。

そうやって耳元でお母さんにささやかれるたびに、子供は眠るのはやめなくても、
その言葉は心に優しくしみわたり、
すっかりおちついて、眠りも、夢も安らかなものに変わっていく。

このなつかしい声を、愛撫を心に探してみて
一瞬でも触れられたら、その暖かさは心全体に、身体に、そしてあなたの見る世界全体にしみわたり
やさしく、ふんわりした色合いに染めかえていく

鍵になるのは
世界全体をうっちゃって、忘れて、何がなんだかさっぱりわからなくなるままにまかせること

その「わからなさ」の感覚に身を任せて、心の奥へ奥へと吸い込まれていくにまかせること

宇宙空間に突然投げ出されたように、上下左右の感覚もなくなって、ちょっと怖くなるかもしれない。それでも、

「わからない。でも大丈夫、信頼します。おまかせします」とつぶやくたびに、羽布団のように軽やかで柔らかい腕に抱きとめられているのが見えてくる。

心がこれまでずっと眠ってきた部屋、天国の輪郭がだんだん感じられてくる。

私にとって、とどめをなすのは、やっぱりこのレッスンかな。
「わからなさ」の感覚のトンネルに吸い込まれるにまかせて、
この針穴の別のサイドを一瞬垣間見る心地がして、
心底、心が休まります。

じっと静かにして、自分が何者かとか
神が何かというすべての思い、
あなたがこの世界について学んできたあらゆる概念、
あなたが自分自身について抱くあらゆるイメージを傍らに置いてください。
真実だとか間違っているとか、善であるとか悪であるとかあなたの心が考えるあらゆること、あなたの心が価値あるものと判断するすべての思い、あなたの心が恥ずかしいと思っているすべての想念を去らせて、あなたの心を空っぽにしてください。
何ものにもしがみつかないでください。
過去から教わった考えやあなたが以前に何かから学んだ信念など、何ひとつ自分と一緒に連れて行ってはなりません。
この世界を忘れ、このコースを忘れ、そして、完全に両手を空っぽにしてあなたの神の下へと向かいなさい。

『奇跡のコース』ワークブックレッスン189 

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