奇跡のコース

「私の中にあなたがいる!」と思うことで、偶像を一掃する

  • LINEで送る

聖霊と、今、この瞬間にある、満ち足りたパワフルな感じに少しずつ慣れてくると、
微かだけれど、着実に、そこからエネルギーを吸い取っていく自分の振る舞いに敏感になってきます。

今日は、すごく面白い本を読んでいて、
(エックハルト・トールの The Power of Nowなのですが)
読めば読むほど、納得することばかり。

でも、読めば読むほど、エネルギーが吸い取られていく感じがするんですね。
なぜだろう? と立ち止まって、ひらめいたのが
いつのまにか私、この本や著者を偶像化してしまってること。
「これを読んで、完璧に理解して、実践すれば、私は良くなる!」
みたいな、自分の外、形をとってあるものに
おすがりする姿勢を無意識のうちにとってしまっていること。

それって、「この本なしの、ありのままの私は無力で、不十分」って、自分に言い続けてることとイコールですよね。

「元気がなくなるはずだわ」と納得。

思えば、コースにそんな姿勢で取り組んでた時期もありましたね。
頑張れば頑張るほど、疲れた感じがするのはなぜだろうって不思議でした。

あるいは、去年カースティンさんのイベントのホストをしたときも、
彼女に直接教えを受ければ救われる・・・みたいな特別な期待をむくむく抱いて、
深いレベルでは、無力感ばかり、深まっていってました。

その点、カースティンさんが葉山リトリートの最後のセッションで、
いきなり、「疲れたから横になるわ。でもちゃんと聞いてるから、続けて」と、
みんなの前から姿を消して、隣の部屋のべっとにごろっと横たわったのですが、
あれは、象徴的でしたね。

つまり、彼女自身、もちろん、そんな関係を結ぶの、望んでないわけです。

こういう状態のときの処方箋は、
いくらおこがましく聞こえても、

「あなたは、私の中にすでにいる」
「この本に書かれてること、この人が言ってることは、すでに私の中にある。ただ、埋もれて見えなくなってただけ」

って思って、ひたすら自分の中に向き直ることなんですね。
一言一言、読んだり、聞いたりしながら、
ただただ、自分の心の中ばかりを見つめ続け、

そこに埃をかぶって埋もれていた
灯が一つ一つ灯され、輝き出して、
「そうだ、そうだ、思い出したわ」
と大喜びしたり、

ここに、あなたがいる! ここであなたが語ってる!
と自分の外ではなく、内側に、その人がいるのを確認する。

そんな態度で学ぼうとすると、
エネルギーは漏れず、
逆にどんどんみなぎってくる感じがします。

  • LINEで送る