非二元のエッセンス

エゴ取り消しの辛い時期を乗り切るには? 「本当の私」は、見誤りようがないこと

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エゴの取り消しの苦しい時期は、私にもありました。

それを少しでも楽に乗り切る一番のコツは、とてもシンプルです! 

それは、エゴは存在しないこと、私自身が信じる限り存在するだけの幻想だって見破ることです。

ルパートさんのたとえを使わせてもらえば、物心ついた時から私はずっと、すごい暴君、要求が高く、何をやっても不十分だって文句をつけてるご主人に仕える召使いだったわけだけど、
実はこのご主人の顔、一度も見たことはなかったなって気づいて、会いに行ってみると、そこには誰もいなかった(笑)そんな感じです。

具体的にどうやるかというと、いろいろやり方がありますが、一番穏やかなのは、エゴは、何か夢中でやって、人の役に立ったりしている時にはいないのに、
事前か、事後に現れて、あれこれ文句をつけるのにきづくことかな?

何か夢中でやっているときには、私たちは大きな自分と合流しているからです。エゴはその事後に現れて、全ては自分がやったと僭称するだけでなく、あれこれ、文句をつけます。
あるいは、せっかくインスピレーションから、みんなのためになることをやろうとしているのに、あれこれケチをつけて、思いとどまらせようとしたりするからです。これについては、この記事が詳しいです。

あるいは、身体のイメージはいつも断片的で、結局のところ、「私」がそこにいると考えるにはかなりの思い込みが必要だって気づく方法もあります。それについては、この記事を参照してみてください。

もうちょっと根本的だけど、きついかもしれない方法として、苦しいと思われた時に、なぜ苦しいんだろう? って考えてみるやり方もあります。

なぜ苦しいか、煎じつめて言うと、
何か期待していたのだけど、裏切られたからですよね。
そんなふうに、思えてきたら、期待していたことを、あげてみてください。「では、どうなっていたら、私はハッピーだったの?」と自問自答すると、話は早いかもしれません。

その期待を、正直に列挙してみた時点で、あまりに非現実的に高い欲求なので馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうかもしれません。それで本当にゲラゲラと笑えるところまでいけば、かなりエゴの虚構性、幻想性が見抜けた兆候です。

笑うよりも、辛い気持ちの方が強かったら、もうちょっと深く心を掘り下げて、
そんなことを期待せざるを得ないほど、切羽詰まって、さびしかったり、空しかったりする自分の気持ちを、しっかり感じてあげてください。

「愛を求める叫び」とコースで呼ばれているものですが、泣きわめくような激しい思いが見つかるかもしれません。それを全身で感じながら、それを本当の私、聖霊に渡すんです。

非二元の言葉で言えば、純粋な気づきに浸します。私の体験で言えば、同じことです。

大いなる存在とか、どんな言葉で言っても構わないと思います。

名称よりも、何倍も重要な一番のポイントは、

自分でやろうとしない

ことです。癒しがうまくいかないときは、いつも、自分でやろうとしていないか、自問自答してみるといいと思います。

コースでは、「エゴか聖霊かを選択する」って言いますが、本当に、選択するだけ。余計なことはやらないのが、一番のポイントだと思います。

どこか別のところでも言いましたが、アナログラジオの周波数のつまみを回すうちに、聞きたい放送局の周波数とぴたっと合って、音楽が流れ始める。その音楽をかけっぱなしにする、その音楽にただ浸る。それだけなんですよ。

私がコースから学んだ一番大きなことは、どんな心の動揺も、ごまかさずに、そこで裏切られた期待→こんな期待を抱かずにはいられない自分の中の欠如感・・・と探っていくうちに、心にぽっかり空いた大穴のようなものにいたれること。その穴が大きければ大きいほど、エゴがどこにも立つ場所がみつからなくなるので(つまり、エゴにとっては、救いの余地がないってことです)、癒される可能性高いことでした。

「本当の私」を見誤ることは、あり得ない!

「本当の私」、聖霊は、絶対に、見間違えることはありませんし、その言葉を、取り違えることはありません。だって、「私」なのですから。

ただ、それを、何か、「自分の外」にあるような、人格的な人、ものとして見ると、逆に見間違える可能性が高いこと、

あるいは、世界の中の特定の「かたち」の上での成功を約束してくれるものだって思っても、見間違える可能性高いこと(願望成就的アプローチがうまくいかないのはこのせいだったりします)

これが、私がここ数年学んだ一番重要なことだって思ってます。

たとえば、ぎゅーっと手を握りしめていると、きついですよね。ただ、物心ついた時から、ずっと握りしめていると、どうすれば手を解けるのかも忘れてしまうし、逆に手を解く方が痛く感じるかもしれません。

エゴってそういうものなんですよ。ものすごく、不自然で人工的な心のあり方なんです。この手の比喩で、ぎゅーっと握りしめることにあたるのは、
たとえば、物事を悪く悪く考えたり、自分は不十分だ、足りないと考えたり、自己批判や他者攻撃をやめない心の癖です。

ただ、解いた時に起こることは、同じですね。とにかく、楽になります。これが、自然な、本当のあり方なんだって言う確信が得られます。この確信は絶対間違えません。だって、全身全霊で感じられる安らぎですから。

「本当の私」の声は、この楽な感じ、自然な感じの記憶、そちらへ私たちを導いてくれる私たち自身が持ってる本能みたいなものだって思っています。

というわけで、安らぎに従ってください。そうすると、迷うことも間違えることもありません。

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