窓から外を眺めていると、折も折、トンビが小さな鳥を捕まえたところ。バタバタはためく鳥をしっかり嘴にくわえて飛んでいくところ、ショックで直視できず、思わず目を背け、「うちの庭で、こんな残酷な殺し屋稼業するなんて、ゆるせない!」 と息巻いてしまいました。
でも、次の瞬間、思い出したのは、あらゆる動揺は、ゆるしのチャンスだということ。心を軽く、自由にするためのジャンプ台。さらなる自由への鍵。そう思い出して気を取り直し、目を閉じて、スピリットに語りかけてみます。「なぜこんなシーンを目撃させられるの? なんの意味があるの? どう受け止めればいいの?
しばらく目を閉じて、あなたの心の中をのぞいてごらんなさい。あなたの心の中に、命の本当のありかが見つかります。命が感じられる場所が見つかったら、そこに沈潜して、ひたってごらんなさい。するとそこに、小鳥の命も、トンビの命もふくめ、すべての命が、完全な形でみつかるから! 目に見える弱肉強食の残酷な世界はあなたの罪悪感の投影、幻想に過ぎません。神の本質をなす命が、だいいちそんなに脆いはずはありません。形の世界の中に、本当の生命はありません。
スピリットに言われた通りに、心の底へと降りていくと、だんだん、やすらぎが湧いてきて、ショックや悲しみも溶けてきました。カラスも小鳥も、精一杯、自分の役柄の中で、命を輝かせようとしてる、殺し殺される瞬間も、命の賛美をやめていない、美しくさえあるじゃないかと感じられてきました。
本当の命は、私たち一人一人の心の中にあるのですね。そのありかが心の中にはっきり感じられる今、そのチャンスを逃さないぞと、命のゆるしを、まとめてやることにしました。
これまで「かわいそう」と心痛めたすべての動物を、一つ一つ思い出しながら、心の中のこの命の泉をじっと見つめ続けます。
最近、うちの猫が殺したコウモリの子や野ネズミたち。冬の最中、うったえるように私の前で泣き始めたのだけど、助けてあげられなかった凍えた子猫。私たちが口にするために日々殺されている魚や動物たち・・・・
するとそこ、つまり私の心の中に感じられる命の泉の中に、みんな元気な姿でちゃんと生きてるのが、だんだん感じられてきます。地上で生きて見えた時の「かわいそうな」状態とはうってかわった、幸せそうな様子で。
なかなかそれが感じられなかったら、もう少し、ゆるしを続けて、スピリットに、たとえば、「あなたにはこの猫がどう見える?」とたずねてみるといいみたいです。
私も、外国滞在中、友達にあずけていた間に死んでしまって、寂しい思いをさせた上に最期に立ち会えなかった猫のちゃあてるの元気な姿だけは、なかなかそこに見つけられなかったのですが。
つまり、その子に対して感じてる罪悪感がそれだけ深かったってことなんですね。これこそ、「心を自由に解放する大きなチャンス到来」とばかりに、その闇をスピリットと一緒にしっかり見つめることにしました。
すると、近所の公園のボス猫として大活躍してた若き日のちゃあてるの勇ましい姿がだんだん脳裏に蘇ってきて、今はただ、一体感と深い安らぎがあるばかりです。
命の本当のありかは、私たち一人一人の心の中にあるのですね。それをいつもハートに感じながら、心の扉を全開にして、出会うすべての生き物を招き入れ、一体感を感じながら生きることこそ、本当の自然保護。罪悪感にかられて、ベジタリアンをしたり、環境負荷の低い暮らしをストイックにきわめるより、ずっと命のためになるんじゃないかと思います。だって全ての命は、命として自分を完成したがっているのですから。
