先日、「ガイダンスについては、読書会も終わったし、手作り小冊子もつくれたし、一段落ついたわ。次は何をやればいいかしら?」とスピリットにたずねながら、英語版のACIMテキストをオラクルカードのようにパラパラとシャッフルしていると、開いたのが、29章7節「あなたの外に求めないでください」と8節「反キリスト」の両方をまたぐページ。「たしか、数日前も、同じページが開いたっけ」と思いながら見てみると、「偶像」がテーマになってる。「へえ〜 偶像ですか? 意外!」と思いつつ、気分転換に近所のヤマギシズムの農園、ユニファーム直営、野菜の直売所も兼ねてるはらぺこパン屋に出かけました。
そこで野菜や卵の買い物を済ませ、イートインコーナーでアンパンをつまみながらコーヒーを飲んで一息ついてると、そこに入って来た長靴はいた作業着の全く初対面のおじいさんが、「俺の娘はハリウッド俳優と結婚してるんだ」といきなり話しかけてきて、びっくり。「渡辺謙が出てる『ラストサムライ』の主人公やっていた、外人の方のやつだ」などなど。北海道の片田舎で、見ず知らずの、見るからに農家のおじいさんから、いきなりこんな話題をひっかけられるなんて、シュールだなと思ったわけですが、すぐ、ハリウッドスター→アイドル、つまり偶像! とひらめき、つまりは、スピリットからの「あなたが今、取り組むべき課題は、偶像の問題です」という確認メッセージだってことに気づきました。
実際、おじいさんの話を聞いてるうちに、だんだん、単に変なおじいさんというわけじゃない。人ごとではないな、と思い始めた次第。ガイダンスについて考えてた時は、それを重視してるディヴィッド・ホーフマイスターさんのコミュニティのビデオに浸りきり、まるで彼やフランシス・ズーが親しい友達かのように(まだ会ったこともないのに!)、だから私まで、ガイダンスについては知り尽くしてるかのようにしゃべってましたものね。
それに、後々、彼らのところへ行けば、あるいは彼らを呼べば、何かいいことありそうだ。一気に悟って、至福状態になれるかも・・・なんて安易に考えてたかもしれない。これって、偶像そのもの! 何かをすれば、どこかに行けば、誰かに会えば、すべてうまくいくという思いこみ。今の「私」と、理想状態、つまり「天国」の間に想定されるギャップを埋めるために、でっちあげられるはかない夢。天国の「代替品」。でも実は、「代替品」をいつもでっちあげて、「〜さえすれば」と思うことそのものが、天国と私たちの間にギャップを作り出しているのですよね。
天国そのものは、「遠く」ではなくて、「ここ」。私の「外」ではなくて、「内側」。「いつか」将来ではなくて「今」。罪悪感をモチベーションにあれこれ何かを「企てる」ことではなくて、すでに与えられているものをとことん「受け取る」ことの中に見つかるものなんだ・・・
というようなことを痛感しながら、家に戻って、テキスト29章7節「あなた自身の外を探さないでください」から、8節「反キリスト」30章の3節「すべての偶像を超えて」から5節「唯一の目的」あたりを読み直すと、一つ一つの言葉が、ぐさっぐさっと突き刺さってくるようです。
たとえばこのあたり
「偶像のかたちに騙されないでください。偶像は本当のあなたの代替品にすぎません。世界はあなたの自信をメチャメチャに攻撃しくじかせ、心の安らぎを奪う力がひしめく危険な場所に見えます。そこであなたは、偶像こそ、あなたの矮小な自己を何らかのかたちで補い完全にしてくれて、安全を保証してくれると信じ込んでいます。偶像はあなたの欠乏を満たし、実際持っている以上の価値を与えてくれるというわけです。自分自身を矮小さと喪失感の奴隷にしていない人は、誰も偶像を信じません」。29−8−2−2〜5
とはいえ、偶像を立てたくなる気持ち、何か途方もなくすばらしいものが自分をまちうけている感覚そのものは捨てる必要もないし、大いに育む必要、あるのですね。ただ、それを自分の「外」にではなく、心の「内側」にだけ、探す必要がある。その覚悟が、今の私にできるかしら? おそろしいこと、いやなことだけでなく、望んでいること、憧れてやまないことまで、形を持つものはすべて「ゆるし」の対象にするときが、とうとう来たのかしら?
というような具合に、いろんな思いがどんどん押し寄せて来ます。テキストを、とにかく読了しようとノルマを決めて少しずつ、通り一遍に読み進んでたときにも同じ箇所は読んだはずなのですが、その時とは雲泥の差です。言葉が身に迫ってきて、涙なしではとても読み進めない感じです。
というわけで、ガイダンスに従ってテキストを読むというのは、全く違う体験。香咲さんのテキスト購読教材の言葉を使わせてもらえば、まさに「自分を読む」体験になるって、痛感した次第。というわけで、おすすめです。
