ヘレンのノート版ACIM読書会

ヘレンのノート版ACIM読書会45回目 信じる力で、状況の圧迫も特別性を求める気持ちも跳ね返す

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2023年9月に始まって今も続いているヘレンのノート版ACIM読書会の内容のあらましで、会の前後にみなさんにメールした予告編や、学習内容を定着するワークを、ご紹介しています。

会そのもののビデオは、今も、1本1000円、5本以上そろっての購入だと1本500円でシェアしています。

もしビデオを観られることにもご興味ある方がいらしたら、堀田真紀子(mhorita*gmail.com *に@を入れてください)まで、ご連絡ください。

ヘレンのノート版ACIM読書会 これまでのタイトルの全て一覧できる目次のページはこちらからお入りください。

扱うテキスト

今回扱いたいと思ってるカメオエッセイ26「ヘレンとビルの神聖な関係」は、テキスト17章5節目の「癒された関係」の成立事情にまつわるものです。試訳は、ここをクリックすると出てきます。

テキスト関連箇所としては、17章の特に5節です。テキスト17章の5節、青い本では「癒された関係」というタイトル、紫の本では「聖なる関係のはじまり」というタイトルがついていますが(内容はだいたい同じ)、
このカメオエッセイ26は、この節の内容の背景にある、ヘレンとビルの人間関係を、ペリーさんが解説してくださっているものです。

二人の関係が神聖な関係として変容を遂げることに、コース成立がかかっているにもかかわらず、当時、それが、難航していたのですね。

テキスト17章の5節は、それに対するイエスの助言集の性質をもっていたことが、明らかにされます。

予告編

職場でも家庭でも、辛いこと、理不尽なことが次々と起こる。こんな「状況」の中で、聖霊を選び続けたり、実相を見続けたり、ゆるしの実践を続けるなんて、できないよ・・・・

私は子育て卒業して、夫の稼ぎや年金で暮らしていて、働かなくてもいい他の人たちのように、ただスピリチュアルな実践だけ、やっていればいいわけではない。働かなきゃ暮らしていけないし、やらなきゃいけないことや、ストレスに押しつぶされそう。ハンディが高すぎるよ・・・・

そんなふうに、叫びたくなる方や、叫びたくなる時、あるかもしれません。

でも、そんなふうに、私たちが、自分の置かれた「状況」に左右される、「状況」の所産だって思わせるもの、それがまさにエゴだとしたら、どうでしょう?

逆に「状況」とは、私たちが立てる「ゴール」の方からでてくるんだって見るのが聖霊の視点です。

つまり、神の子の全一な私になるんだって、ゴールをはっきり立てて、そこにとにかく絶対的な、ゆるがぬ忠誠心を抱き、完全にコミットする。

すると、その達成のために必要な「状況」がそこから出てくるというわけです。テキストにはこうあります。

「エゴは状況が経験を生み出すと信じている。聖霊は、状況とはゴールが決定するものであり、そのゴールに応じて経験されるものだと知っている」17−6−5

たとえば、私のゴールは神の愛を完全に受け入れ、その中で安らうこと、私は愛しか見ないんだと、明確に「ゴール」を立てますよね。で、神と等しく創造された神の愛し子である以上、それは事実を確認してるに過ぎない。だから当然それは達成できるってそこに絶対的な「信」をおきますよね。

すると自分を取り巻く状況の全て、周りの人や起こる出来事の全てが、その加勢をするために馳せ参じているように見えてきます。

たとえそれが、私が無意識のうちにやってる愛の受け入れを拒否する癖をバーンと爆破してくれるような、一見厳しいレッスンとして現れてきたとしても、応援してることには変わりありませんよね!

あるいは、調子がいい時には、見えるもの全てが、「そうだ、そうだ、あなたはすでにこんなに愛されてる!」って大合唱して、証立てくれるように見えてくる。

何より世界が統一的なゴールの下、たった一つの全一なもの、等しい「質感」みなぎるものとして、私と不可分に、親密に現れてくるさま
一言で言えば「すべては私!」って見えてくる様子がすばらしいです。

本当にそうなの? って半信半疑の方も多いかもしれません。

今回のゴールは、このことをみんなで確認することです。

カメオエッセイ26は、その時起こることを、リアルに体感するために、とても参考になります。

ビルが、「別のやり方があるはずだ!」といい、ヘレンがそれに「イエス」と言ってから、二人の職場を取り巻く状況は、みるみる変わって、戦場のようにキリキリとした緊張関係が満ちていたところが、あたたかくくつろいだ、より効率的な場所に変貌を遂げました。

そのあたり本当に、私たちが本気で聖霊のゴールを受け入れた時に起こることの典型例になってます。ゴール達成のための手段の中にすでにゴールが予兆的に含まれてる。
お花畑への道そのものも、すでにお花で覆われているというわけです。

そんなふうに、状況のすべてが、二人のゴールのために協働を開始するわけですね。

つまりこの状況の変化も、ゴールのための序曲にすぎない。

ではそのゴールとは何でしょう?

ヘレンとビルの「神聖な関係」です。

その成立に、コースの誕生もかかってる。このコースを通してその後癒されることになる星の数ほどたくさんの人たちの命運もそこにかかってる。

そんなハラハラドキドキの中で始まる歩みですが、
二人がそのゴールを受け入れようとすればするほど、凄まじいエゴの抵抗がはじまります。

特に、もう習い性になってしまってる「特別な関係」に走りたいと言う誘惑(特別な関係以外に、人間関係あり得るの? といった思い。私にもそれ、しつこくまとわりつきました 笑)、
お互いの中でそれがもう成立しないのなら、他のところにそれを求めるためにここから逃げ出したいと言う誘惑が、ぐーっと高まってきます。

17章はこの緊張の中で書きとられていて、とくにその5章は、そんな二人のためのイエスからの助言集になってます。

エゴの猛烈な抵抗からくる困難な状況はすでに想定内だよ。初期の段階ではいつもそうだよね・・・

となだめながら、抵抗する心が、なおしがみつこうとする「特別な関係」の、一見綺麗なパッケージに包まれているとはいえ、恐ろしい本性を、手を変え品を変え説明して、私たちを説得してくれます。

特別性って、もう、私たちがどっぷり浸かっている文化の全体がそのために動いているようなところがあって、
自覚することすら難しいところ、ありますよね。

だからこそ、あらためて、それが何なのか、はっきりと捉えるって、とても重要な気がします。

特に今回は、特別性を握りしめるって、実は、実相を破壊すること、
実相のありのままの、一見つつましやかだけれど、深い安らぎの全一性を、
部分に寸断して、切り裂きながら、エゴの役に立つ部分だけ、ピックアップしてあとは切り捨てるような、残酷な行為であること、
それは、私たちに天国を保障してくれ、すでに今、ここで、即刻その幸せ、安らぎを感じさせてくれる、聖霊のゴールへの「信」がぐらついて、
「不信」に走ることに他ならないんだ・・・・
といったことにフォーカスできればって思ってます。

おすすめワーク

その1 ビデオの最初のあがりでご紹介しているワーク、よかったら続けてください。

まず、自分のゴールを確認します。
いろんな言葉で表現できると思うのですが、たとえば、
分離を癒し、実相の私、私の真実、私日本楽属している、愛や安らぎ、力を取り戻すことだって、再確認します。
ゴールが正しく設定された以上、ゴールの方から、すでに、手段が与えられ、手段のうちにすでにゴールを予兆するような奇跡体験に満ちた、一歩一歩進む道がすでに整えられていることにも、信faith を抱きます。

その上で、今自分が体験していることへのジャッジ、思考を外して、
「そうなんだね」と言いながら、全て、人まずありのままであることをゆるし、受け入れるってことやってみましょう。

とくに、「これは問題」「このまま受け入れるなんてできない」部分があったら、
ビデオでもやったように、そこにフォーカスしながら、されるといいかもしれません。

少しでもこころがゆるみ、安らいできたら、ゴールの方へと私たちを誘ってくれる、聖霊との合流がはじまった徴、
その安らぎに没頭してください。

必要を感じたら、祈りを加えられていいと思います。たとえば、次のような祈りです。

あなたの視点で、この状況を見せてください。

この状況の中にすでにあるのに、私が見落としているめぐみ、愛、レッスンのための教材があったら、見せてください。

この状況がすでに完璧であるのを見せてください。

この状況を、あなたの目的のために使ってください。この状況を通して、あなたの愛や安らぎ、真理が、私と全ての人の癒しのために流れ込みますように。

もし、そのためにやるべきことがあったら教えてください。

困難に見える状況が、めぐみや、チャンスとして、違う姿で見えてくるかもしれません。

その2 周りのものや人との関係の中に、特別性が混じっていないか、警戒するってことやってみましょう。

それが感じられたら、その関係がちょっと揺さぶられた時(たとえば期待していたものが、そこから得られなかったりなど)、浮上する典型的な分離に根ざす感情を炙り出し、呼び起こして、
安らぎの温泉に浸す、安らぎそのもの、聖霊にゆだねて、丁寧に癒してみましょう。

ほんの微かな喪失のおそれや、失望感、物足りなさ、退屈な感じものがさず、コツコツ癒していくことで、
神聖な関係の素地になる安らぎが、ますます高まっていきます。

その3 分離からくる、欠けた感じは共通でも、何が特に「欠けている」と感じられるかは、個人差があったりします。
たとえば、愛されない寂しい・・・という思いが強い人もあれば、力が足りない、私はダメなんだ・・・・という思い癖が強い人もいるかもしれません。  

自分に欠けていると思いがちな実相の性質がだんだんわかってきたら、
その性質が、努力なしに自然に湧いてくる源泉が、自分の中にすでにあるんだ・・・・という可能性に身を開いて、
その源泉を意識的に感じるってこと、始めてみましょう。

ビデオでご紹介してる「私は愛 あなたは愛」「私は力 あなたは力」「私は尊い あなたは尊い」を交互に繰り返すワークや、

とりあえず、自分に欠けていると思っているものを、周りの人に与えることを始めて、
与えた分だけ、すでに内側から補充されている感じがしないか? 自問自答するというのも、いいかもしれません。
補充されている感じがするとすれば、その性質が渾々と湧き出る源泉とつながったってことですよね。

愛がないと思ったら、周りの人に積極的に愛を与えて、親切にふるまうとか、
力がないと思ったら、周りの人を積極的に助けて、力を差し出すとか・・・
人の尊さを賛美しているうちに、その同じ尊さが自分にもみなぎっているのに気づかれるかもしれません。

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