ヘレンのノート版ACIM読書会

ヘレンのノート版ACIM読書会47回目 戦場にいるときだってできる〜でも上空に飛び立つ必要はある

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使用するテキスト

今回はカメオエッセイ28 青くて灰色の鳥
試訳はここをクリックすると出てきます。 


テキスト関連箇所としては、青の本23章ですね。特に2〜4章。

余裕があったらあらためて目を通していただくと、わかりやすくなるかもしれません。

予告編と準備しておいていただきたいこと

青の本のテキスト23章3節、4節には、戦場にまつわる鮮烈なイメージがたくさん出てきますが、これは、もとはといえば、ヘレンが若い時に見た夢をベースにしているのですね。

テキスト関連箇所としては、もちろん、この「戦場の上空にて」の節が入っている紫の本の23章4節。あるいはその序幕として、3章の「カオスの原理」ですね。

翻訳もされている青の本では、23章2〜4節あたりです。余裕があったらあらためて目を通していただくと、

わかりやすくなるかもしれません。

私たちの心から〜微妙で、自分でも気づかないものもふくめ〜
あらゆる「戦いの兆候」を炙り出し、

安らぎにゆだね、
平和がいつも、広がる心を保てるようになることが、今回の会のゴールです。

もちろん、分離そのものが神に対する戦いなわけで、そこからはじまっているわけですが、
今回はそれが日常生活で、いろんな状況に投影されて現れる現場で、
それが兆候として現れた段階で、癒す練習ができたらなと思います。

この手の「戦い」の兆候の中には、たとえば、
「こうあるべき」状態が、今ここにないことからくる、かすかないらだちや焦り、
そのことで自分や状況や人を責める(攻撃する)心の動きであるとか、

あるいは、ヘレンのケースがそうだったと、今回扱うテキストでも語られますが、
本音と建前を分裂させて、攻撃心を、「笑顔」や平気なフリ、
「いい人」の表向きの顔や、社交辞令、ご機嫌取りの振る舞いの下に隠しながら生きる癖であるとか、

あるいは、家庭や職場で、他の人のために、全体の利益のために、
自分や自分が本当にやりたいことを、いつも犠牲にしながら
心の奥にいつも怒りや恨みを抱えながら生きている感覚などなどがありますね。

思いつくまま述べましたが、他にも、いろいろあると思います。

表面には見えないかもしれませんが、心の中で戦争が進行中なわけです。

今回のカメオエッセイで、ヘレンがそうだったって語られるように、
私たち自身、そんな心の動きに気づいていないこともよくあります。

自覚症状がないんだったら、直しようがないでしょうって、思ってしまいますが、
とっておきの秘策が、テキストに書かれています。戦場の上空にての直前の「混沌の法則」の最後のところです。

それではどうすれば、自分が天国に昇る階段を選んだのか、地獄へ下る道を選んだのかがわかるるのでしょう? それはきわめて簡単です。どんな感じがしますか? How do you feel?  安らかさを自覚していますか? (紫の本23章3節23段落目、青の本2章22段落目)

逆に言えば、
心から安らかさが失せたとき、
天国への確信が薄れた時、
私たちの心では何らかの戦いがすでに進行中だというわけです。
「戦場の上空にて」の節では、心の中で、攻撃への誘惑が生じた時の兆候について、次のように言われてます。

「形によってあなたが認められないときも、その兆候ならばあなたは知っている。刺すような痛み、ずきずきと疼く罪悪感、そして何よりまして、安らぎの喪失がある」(紫の本4節12段落目、青の本4節6段落目)

例えば私は、やりたいこと、やるべきことがあるのに、人や状況が邪魔したり、怠け心や逃避行動が出てきて、できないでいると、かすかな頭痛がしてきて、目がショボショボして、視界が小さくなってきて、全身のエネルギー状態がみるみる低下して、疲れた感じが広がる癖に、ずいぶん悩まされたものでした。心の中で進行中の「戦い」が、内側から身体を攻撃しているのが肌身で感じられるのですね!

この癖、まだ完全に消えた言えず、たまに出てくることはあるのですが、
昔のように頻繁には出てこなくなってから、
ずいぶん元気になったし、幸せ度がアップした気がしてます。

今回は、微妙なテーマを扱うので、ちょっと準備をしていただいた方がいいかなって思ってます。

本気であらゆる「戦いの兆候」は全て、兆候の段階で平安にゆだねていくぞって思う方は特に、よかったらつきあってください!

筆記用具を用意して、ノートに書き取っていかれると、いいと思います。

1、まず、あなたの普段の生活で、今お話ししたような意味で「戦いが始まったな・・・」と思われる瞬間がないか、自問自答してみてください。

痛み、罪悪感、やましい気持ち、安らぎが失われ、エネルギーが低下する感じ。
さっきまではご機嫌で、元気だったのに、あれ、何が起こったんだろう?と思う時などのことを思い出すといいかもしれません。

2、それはどんな時でしょう? そこにはパターンがありますか? メモしてみてください。

3、その感じは、何と言っているように感じられますか? そんな時、そこにある典型的な思考について、思いつくものがあったら、思いつくままに箇条書きしてください。たとえば、「もっと重要なことがあるのに、できていない」とか、「いつも私ばかり・・・」などなど。

4、そこで挙げた思考、一つ一つを読みながら、「そうなんだ」とか、「いいじゃない」と言いながら、それがそこにあることを、まずはゆるし、受け入れてあげましょう。そうやって一生懸命、自分を守ろうとしてきた、自己流のやり方で、自己流の安らぎを作ろうとしてきた、見当はずれの努力だったけれど、よくがんばったよねって、これまでの自分をいたわったり、ありがとうねって声をかけてあげてもいいかもしれません。

それにつれて、少しでも、ほっとしたり、安らいだ感じが広がれば、うまくいった兆候です。その安らかさをのがさず、温泉に浸るように、そこに全身で浸ります。

その安らぎに、思考の一つ一つを浸してあげてください。

5、もし、感情や身体感覚が出てきたら、同じように、この安らぎの中に浸してあげてください。

先取りになってしまいましたが、会の最中は、みんなでこれをやれたらと思っています。みんなとつながると、安らぎの温泉が、とりわけ、力強く沸くので、ワークの成功度も高まります!

この機に癒したい「戦い」の癖、リストアップして、参加していただけたらと思います。

カメオエッセイの試訳をお送りしたときのメッセージにも書きましたが、
この「戦場の上空にて」の節、特にそのタイトルから、もう一つ学べる重要なティーチングがあるって思っています。

それは、癒しは、今、この瞬間に、外的な状況や、心の状態が必ずしも安らかであるかというより、
それがどんなものであれ、それらをどんな視点から見るか、戦場の上空の、聖霊の視点(実際、聖霊Holy Spirit は、初期のテキストでは、スピリチュアルな目Spiritual Eye と呼ばれていました)から見れるかという、
「視点」の問題なんだってことです。

もう少し平たくいうと、癒しによって得られる安らぎは、
「番組」ではなく、「放送局」なんだってことです。

安らぎが「番組」だとすれば、それが始まるのを楽しみにして待って、それが終わって、次は「戦い」の「番組」が始まると、ああ、安らぎが失われてしまった。あれはどこにいったんだろう?・・・と嘆くことになります。

癒しや悟りを特定の形あるもの、名指せるもののうちに求める限り、私たち、この手のアップダウンから逃れることはできません。

でも、安らぎとは、全てを包み込む「放送局」のようなもので、そこには、いかにも安らかに見える番組もあれば、「戦いの修羅場」に見えるような番組もある。出会いもあれば、別れもある。

人生のすべての局面を移す番組が、次から次へと上映されますが、
その全体が、「安らぎ放送局」から流れる番組特有の、安らかな視点から見られている。「戦場の上空」から見られてる。

そうとらえることで初めて、いつも変わらぬ、コンスタントな安らぎが可能になります。

とは言え、言うは易く、行うは難しってことも、否めませんよね。みなさんからアイデア、体験談などシェアしていただければ,嬉しいです。

安らぎは「番組」ではなく「放送局」だったと言う認識は、誰もがおそかれはやかれ直面するターニングポイントだと思いますので! ここをスムースに移行できるかどうかで、その先に進めるかどうかが決まります。

補足とおすすめワーク

「〜でなけれなならない」と正しさを握りしめて、人や自分を責め続ける

ビデオで「戦い2」と呼んでいるものから解放されるには、本気で、実相の安らぎや愛に信を置く必要、あります!
つまり、実相の愛や安らぎは、私たちの心を癒して、気持ち良くしてくれるだけでなく、
そこには真理もあるんだ!
私が握りしめてる真理の偽物「〜でなければならない」「〜が正しい」をはるかに超えた真理があるんだ!
全て必要なものは、この安らぎの中に、含まれてるので、それだけでいい私の方でこれ以上、力む必要はないんだって、
心底、信頼することができるかが問われるんですね!

これって、最初は、思いの外、難しいです。
というのも、実相の愛や安らぎは、ミヒャエル・エンデのモモみたいなもので、それ自体、何も言わないし、ジャッジもしないからです。

自分で頑張ってる時の、「こうしなきゃいけない」「ああしなきゃいけない」のギラギラした、はっきりした、大きな声と比べたとき、
一見、あやふやで信頼できないように思えるかもしれません。

それでも、じっと立ち止まって、そこに耳を傾けていると、愛が心に満ちてあふれてくるので、
自然に何かやりたくなることが出てくるし、
その時やりたくなったことは、あまりに自然な感じがするし、あまりにシンプルだし、ちょっとした思いつきのように見えるので、重要だとは全然思えなかったりするのですが、
実はそこにはびっくりするほど、深い知恵が含まれていたことに、
後になって気づかされることが、よくあります。

抵抗しないこと、ゆるすことにかけては、本当に徹底していたガンジーは、
最期にピストルを突きつけられて撃たれたとき、
相手に挨拶したり祝福を与える時の身振りをしながら倒れたのだそうです。

自分を殺そうとしている人もそんなふうに迎える。
そこまでジャッジせず、瞬時にゆるすなんて、エゴには理解不能ですよね。
「人を殺してもいいって言ってるの?」とでも問い返したくなるかもしれません。

この時ガンジーを包んでいた実相の安らぎ、愛は、ただ沈黙して、そうした質問には答えません。
正しい、間違ってる、つまり「こうしなけれなならない」の次元の問題ではないからです。
その点、あやふやだし、ある意味、当てにならないようにみえるかもしれません。
でもそこには、夥しい数の人を、何世紀にもわたってインスパイアしつづけるような、力強い、深い知恵が含まれていたというわけです。

実相の愛や安らぎの奥から滲み出てくる、沈黙の中で語る静かな真理。
これはもう実践で確かめていくしか、ないですね。

たとえば、私は、この会の準備を「しなければならない」関連で、変な焦りが出てきて、
もう直前なのに、何にも話の内容、決まってないぞ・・・なんとかしなきゃ・・・などと動きたくなればなるほど、立ち止まって、じっとする・・・ってこと、心がけてます。

じっとして、瞑想したり、祈ったり、ワークして、心をゆるめて、ふっくら、のんびりさせるんですね(笑)。

「あれも、これも、しなければ・・・」と焦るエゴから見ると、とてもいい加減な態度に見えます。

でも、この安らぎからこそ、必要なものはすべて出てくる。
このことで、私、裏切られたことはこれまで一度もありません。

安らぎは、実際、本当に頼りになります!

でも人一倍、「こうでなければならない」駆動が強かった私でしたから、
いやというほどこれを確かめて、やっと納得して、本当に信頼できるようになったってことも、否めませんね(笑)。

というわけで、今回のおすすめワークは、
「〜しなければならない」と焦ってなす自己流の解決策よりも、
「安らぎの方が頼りになる!」ということを、確かめてもらうことです。

もし、防衛から、つまり恐れから発している「〜しなけれなならない」で、走り出しているなって気づくことがあったら、
立ち止まって、一呼吸して、その時感じていること(焦りや不安・・・など分離感)がありのままであることをゆるしながら、心をどんどんゆるめ、ふっくらさせて、温泉を沸かして、そこにその感じを浸しながらいる、
自分は温泉として、温泉の側にいるってこと、やってみましょう。

実際、忙しくて、動かなければならない時は、そうしながら動く必要があることもあるかもしれません。

ちょっと上級編になるかもしれませんが、これができるようになったら、それこそ、台風の嵐の中にいながら、台風の目の静けさに自分が包まれているのに、気づかれるかもしれません。

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