来週末の東京の会(詳細、申し込みなどはこちらから)でやりたいなって、今インスピレーションとしてきていること。
実相だけを見続けるって、愛だけを感じ続ける、しあわせだけを感じ続ける・・・って言い換えることもできますよね。
いろんな角度からアプローチできると思うのだけれど、
その中でも、う~んとシンプルな道をたどるとすれば、ようするに、
今ここに、私は一番いたいんだ!
こここそがわが家、愛しいものしか、目に入らない場所
って、感じながら生きていけることですね。
そんなことを言うと、
「でも人生、生きてると、いろんなことあるでしょ? どうしても嫌な時とか、大変な時はどうするの?」
って言い返されそうですね。
実際、職場や家族関係の修羅場の真っ只中で格闘中の方もたくさんいらっしゃるわけですし、
そのニーズに耐えることができなければとも、思ってます。
でもそれでも、
愛しか見ないで生きていくって、可能だし、
可能どころか、実用的で、
どんな修羅場も
天国に変える力を持ってるって、思ってます。
たいそうなことに聞こえますが、注意の焦点をいつも「今」に向けて、
横の時間、タイムラインのストーリー、ドラマに入らない癖をつけてしまえば、意外と簡単です。
今、今、今・・・で縦に輪切りにして、その断面を見続けながら生きるんですね。
タイムラインで進行中に見えるストーリーに一喜一憂したり、
それについてあれこれ、いい悪いとか、だれが悪いとか、「こうあるべき」「ああるべき」だってコメントする思いに流れていたエネルギーなどなど、
余計なことを考えることに流れていたエネルギーがすべて回収されて、
パワフルになるし、集中力最高に高まるし、仕事にしろ家事にしろ、パフォーマンス高まります。
ただ、それは努力して獲得すると言うより、
ラジオの周波数を、聴きたい番組が流れている放送局にピタッと合わせるのに似てる。
チューニングの問題なんです。
何にも起こっていない、実相の静けさだけが満ちているスポットが、誰の中にもあります。
そこを正確につきとめるってこと、やりたいですね。これはリアルで、集まった時の方が、ずっとやりやすいので。
チューニングできるようになったら、あとはそこにとどまるだけです。
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それが癖になって、自然にできるようになると、すぐにわかります。
人生のストーリーラインを見て、いいことがあった、悪いことがあったと一喜一憂するということを自然にしなくなって、
ただ、日々の映像、
たとえば道で偶然出くわした子供の笑顔や、
野辺に咲く花や鳥の声、
あるいは都会の雑踏のエネルギッシュなうねり・・・
そうしたあたりまえで、ささやかな瞬間、瞬間に、心から驚き、感動し、楽しんでる自分に気づくからです。
エゴが、「この問題ついて、あなたは今考える必要がある!」「これは重要、深刻な問題だ」と吹き込んでくる、仕事や人間関係の悩みも、そんな瞬間は、すっかり忘れているのに気づくはず。
忘れていいんですよ! 全部嘘だから(笑)
そんなふうに言うと、「それってわかる!」って方も多いと思います。
たとえば、目の前の人が血相変えて怒ってる。その真っ最中に、
それに反応しておびえたり、こちらも怒るどころか、
「この人の怒った顔も、かわいいな」と感心しながらしげしげと眺めたり、
「まるで3歳児のヤクザのようだわ」と、吹き出しそうになってる自分に気づくかもしれません。
小説風にタイムラインの上をクライマックスに向けて流れていた人生が、
俳句風に「ここで一句」と立ち止まりたくなるような縦割りの瞬間に分解されていく感じです。
たとえば私など、映画(最近自然にほとんど見なくなりましたが)を見ても、ストーリーはほとんど追っかけていないけれど、ただただ、瞬間瞬間の映像の美しさに見惚れてる。
そんな日々が始まります。
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とはいえ、それができるようになるにつれて、
ますます、「今、ここ以外のところに行きたい!」抵抗、
「時間の中に入りたい!」という引きも、
強く感じるようになるかもしれません。
「今、ここ」が、問題だらけ、欠けたところだらけ、心配だらけ・・・に見えて、それを改善するために動きたくなる力が、身体の中で暴れ出すんですね。
ここが正念場です。
まず、そういう「引き」は、誰にでもあること、
人類の一員として、集合的にみんなで担い、みんなで癒している分離癖で、
だからこそ、私たち、時間の中に生きてることを思い出して、
まずはまるっと、そんな自分をゆるし、受け入れてください。
自責や罪悪感に入ると、こじれるだけです。
その上で、重要なことが2点あります。
一つは、この「引き」が言うこと、一切、真に受けないこと、
反論したり、攻撃する必要はありません(そうすると「真に受けてる」ことになりますよね)、
色々重要そうなことを言います。言うこと聞かないと、大変なことになると脅すかもしれません。
でも本心は、ただ、
「今にいたくない!」「分離し続けていたい!」
ってだけなんです。
今、ここで、私たちが満ち足りて、安らいはじめちゃって、取り消されたら、エゴは大変なことになる。
それに対して、必死で抵抗して、
ありとあらゆるネタを見つけて、そちらに私たちの気持ちをなんとか引きつけようとしているだけなんです。
と同時に、その奥に感じられる不快感そのものは、溺愛する(笑)。これが、重要なことの二つ目です。
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ひたすら、この「引き」が、今、この瞬間にどう感じられるか・・・
この「引き」が言ってることを真に受けて、
タイムラインに入り、世界の中に見える問題解決に入らないで、
ただただ、どう感じられるか・・・・
それだけを感じ続けます。
この感じに名前をつけて、説明をしたり、分析したりしている間は、まだまだです。
たとえば、これは悲しみ、幼少時からある、見捨てられる悲しみ・・・・
まだまだ、世界の中、タイムラインの中にあります。
そうしたことも一切忘れて、ただただ、今この瞬間に、直接感じられる生の感覚だけを残すと、
なんだかわけのわからない、無形のものが現れるはずです。
なんだかわけがわからないので、「野獣」とか、嫌な生き物、たとえば「ヒキガエル」のように感じられるかもしれません。
ここから始まるのが、いつかブログ記事も書かせていただいたなつかしいテーマ、
ヒキガエルは王子様!
です。溺愛が始まるのはここからなんです!
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「それが言うこと」には一切耳を貸さない、真に受けない
にもかかわらず、その奥に感じられるゾッとするような言葉にならない感じは溺愛する
というと矛盾している気がしますが、
王子様が、魔法をかけられて醜い姿に変えられて、周りを魔法使いが取り囲んで守ってる様子を想像していただけたら、腑に落ちるかもしれません。
「それが言うこと」は、魔法使いの方から来てるんですね。
王子様自身の言葉ではないのです。
王子様は、今も昔も、愛そのもので、こんなふうに封じ込められ、囚われの身になったように見える時も、私たちの愛だけを待ってます。
王子様は、私たちの中にある実相であり、神の愛です。
でも私たちが分離を選んで、アイデンティティが、分離し続ける駆動力、エゴの方に傾いた瞬間、
見るもおぞましい、怪物のような姿になって、
ここだけは近づいてはならないというエゴの呪文の言葉(「今、ここ以外のところだったらどこにでも行きたい!」衝動)でがっしりと取り囲まれてるというわけです。
王子様を救い出すのが、私たちのミッション。
そのために必要なのは、この怪物を、ただただ、愛し、愛し、愛しつづけて、
おぞましい感じが変容して、本当に愛しい人、王子様、実相、愛そのもの・・・が感じられてくるまで、待つだけです。
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そのためには、ただ、今この瞬間、一番嫌なところに座り込む、火の上に座るような覚悟が問われるだけ。
未来に癒しがあると期待して、今、嫌なことを引き受けるエゴの「産みの苦しみ」風の癒しのドラマに入らないこと。
ただただ、どんな醜いものも、おぞましいものも、愛してる、私は愛しか知らないから・・・といった純愛のシンプルさにとどまること、
と同時に、思考がいうことには一切耳を貸さない・・・・それだけです。
時間の中に入らないためにも、「ヒキガエルが王子様に変わる」というより、「ヒキガエルが即、王子様である」ことが、だんだん見えてくると言った方が正確かもしれません。
体験的にいえば、いいマッサージを受けている時の「痛気持ちいい」感覚に似てます。痛みが実は気持ち良さだった、悲しさが実は愛だった、怒りが実はクリエぃ底部なエネルギーだった・・・という具合に、そのものが、そのまま変容していきます。
そのあたり、これから始まるリアルの会で、やれたらって思ってます。
