ヘレンのノート版ACIM読書会

ヘレンのノート版ACIM読書会 17回目 安らぎながら、キリストコントロールに身をゆだねる

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2023年9月に始まって今も続いているヘレンのノート版ACIM読書会の内容のあらましで、会の前後にみなさんにメールした予告編や、学習内容を定着するワークを、ご紹介しています。

会そのもののビデオは、今も、1本1000円、5本以上そろっての購入だと1本500円でシェアしています。

もしビデオを観られることにもご興味ある方がいらしたら、堀田真紀子(mhorita*gmail.com *に@を入れてください)まで、ご連絡ください。

ヘレンのノート版ACIM読書会 これまでのタイトルの全て一覧できる目次のページはこちらからお入りください。

*今回使用したテキスト****

今回扱う予定の奇跡の原理は

奇跡の原理26(青の本と、かなり違う内容です)

紫の本の訳は、ここをクリックして、出てきた文書の12ページを見てください

奇跡の原理46の16段落目から20段落目(これは青の本にはありません)

紫の本の訳は、上と同じ文書の24ページを見てください。

*予告編****

今回のテーマは、

スピリチュアルな特別性を一掃することで、

イエスと共同作業をすすめる働き手になる

とでもなりそうです。

分離からくるどんな感情も
~ということは、愛や安らぎを伴わない感情のほぼ全てをさしてるわけですが~
ストーリーを外して、
今この瞬間に直接体験されるだけ残して、
ただ、ありのままに感じてると、
みるみる縮んでいきます。

幻想にすぎないからです。

それにつれて、楽で、安らかな感じが心に自然に広がります。
それは自動的に起こることで、私たちの努力も何もいりません。

というのも、そこで広がり、満ちてくるものこそ、そこに本当にあるもの、実相だからです。
雲が消えると空が現れるのと同じで、
幻想の雲が引いていくと、空の輝きがそこに現れずにはいられないからです。



こんなにシンプルで簡単なことが、なぜできないのかな?
って、逆に不思議になってしまうほどですが、

一つには、分離からくる感情をなんとか誤魔化そう、覆い隠そう、自分のやり方で何とか解決しようという力動が根強くあるからですよね。

そうするたびに、幻想に、力を与えてリアルにするのに手を貸してしまいます。
誤魔化したり、隠したり、変える必要がある → あなたは存在する、それどころか、自分の身を守るために私が防衛する必要があるほどの力を、あなたは持ってる・・・ってアフォーメーションしてるのと同じことになってしまいますから。

そんなふうに、私たちがついつい真に受けて反応しまうことこそ、
幻想が幻想なのにもかかわらずリアルに見えてくる、唯一のエネルギー源。これさえ断つことができれば、私たちをわずらわせることもなくなります。

といっても、世界の中でストーリーとして見えることに入り込んで反応する癖、なかなかとれません・・・って言いたくなりますが、
だからこそ、イエス、聖霊の助けもあるわけです。

彼らの視点と合流することで、幻想を幻想として看過できる、正しい視点になれます。



これについては、レベルの混同、特別性の問題として、セックスをめぐるノートを扱い始めたあたりから、取り組んできましたが、ここで、ものすごく微妙な特別性、スピリチュアルな特別性のゆるしもやることができたらなって思ってます。



「この人が、私を全ての惨めさから、救ってくれる、なぐさめてくれる」と、この世界に見える特別な「誰か」に、期待して、依存しては幻滅する・・・それが特別の関係ですが、
同じことを、そっくりそのまま、見えない存在相手にしてるのに気づくことって、結構、ありますよね。

たとえば、「一生懸命神に祈ったのに、思い通りにいかない」。で、神を恨みたくなったり、疑ったり。

イエスや聖霊のガイダンスを聞いたと思ったのに、どうみても、惨めな結果(と見えるもの)に直面して、がっかりしたり、そもそも自分は間違った道を選んでいるんじゃないかと疑ったり・・・

「こんなに一生懸命学習してるのに、心安らかにならないのはなぜ?」とコースを恨みたくなったりすることもあるかもしれません。

どこかに、究極のティーチング、究極の学習の機会があると思って、あれからこれを渡り歩く、スピリチュアルなジプシー状態になったり・・・

スピリチュアルな特別性がそこにあるって兆候ですよね。



どこに問題があるのでしょう。分離感を直視するのではなく、その代わりにごまかすための隠れ蓑として、神やイエスや聖霊や、ティーチングを利用してるからです。

心が動揺したときに、「この人のせい」「あの状況のせい」と、この世界に見えるものを責めたり、なんとかしようと動くのはもうやめて、
私の分離のせいでしたと、
そこにある感情を、ありのままに見ようとする。それはすばらしいことです。

ただ、それが、とても恐ろしく感じられて、直視できない。

これもまた、全然大丈夫。

ただ、この後、二つの道に分かれるのですよ。

一つ目は、直視するのはあきらめて、「助けて!」と誰かに、何かにすがる。あるいは、ガイダンスを求める。恐ろしいものに蓋をし続けるための「蓋」として、イエスや聖霊やティーチングを使う感じです。

恐れはそのまま、温存されます。依存してすがることで、抑圧して、隠そうとしてただけ。
だから、思い通りにいかなかったりすると、また噴出してくるんですね。

もう一つの道は、分離感、直視しようと決めた。一人でやるのはとても無理。

でも、イエスや聖霊や、同じ道を行く友とだったら、見ることができるかもしれない。
だから、そうした存在に対して、「一緒に、幻想を幻想として暴ける、正しいやり方で見てください」って頼む。
そういう意味で、「助けて!」っていうこともできます。

で、一緒に、分離感を見ることができたら、幻想だってことがわかって、みるみる消えていきます。
その場でしあわせになれるので、もうどんな特定の結果も「期待」することはありません。だから「幻滅」することもない。特別性から抜け出ることができます。



イエス自身も私たちに崇拝されたり、依存されたりするのを望んではいない。ただ、私たちの癒しの旅路のサポートを全面的にしたいと思ってるだけなんですね。
一緒に幻想を幻想として見透かすことで、分離の信念でできた監獄からの脱出を助けてくれます。

そして、そこに空いた隙間から、天国の安らぎが感じられるようにしてくれたり、
それをどうやったら、みんなと分かち合えるか、具体的指示も与えてくれます。

そんな奇跡体験が重なって、自作自演の分離の監獄から抜け出ることができるようになったら、
今度は、自力で、神と直接の関係を結べるようになるためのサポートもしてくれます。
どうすれば、 啓示体験を深め、正確なガイダンスを受け取ることができるのか、手取り足取り教えてくれるし、
その結果、神体験が深まって、天国の安らぎが満ちてきたときに、
それを一番効果的に、みんなと分かち合う方法も教えてくれます。

一言で言えば、共同作業のパートナーになるのですね。



というわけで、今回は、スピリチュアルな特別性を癒しながら、イエスをはじめとした助け手と、どんなふうに、共同作業をすすめれることができるか。そのあたりがテーマになりそうです。

そのために、キリスト意識を養って、キリストコントロールを感じるためにはどうすればいいか、
また、ゆるしが運んでくれる安らぎの方が、本当にそこにあるもの、実相であるという確信を深めるためにはどうすればいいかなどについても、お話できたらなって思ってます。

*おすすめワーク

 ACIMは楽譜のようなもの。 それぞれの学習者がそれを生きることで、 そこからそれぞれの音楽のパーツを演奏することで、意味を持ってくるって思ってます。
 そのためにも、皆さん一人ひとりが、ここで学ばれたことを、自分の生活の中で、どう活かし、生きていくかを自問自答しながら、学習を進めていかれると、これほどうれしいことはありません。


 ビデオを見ながら、 そこで語られていることの中に、 今の自分の学びのプロセスで、活かせそうなことがあったら、 ぜひ、実践してみられることをお勧めします。

 特に私の方でおすすめするワーク、3つあります。すべてをその通りにやらなければいけないというわけでは全然ないです。

ただ、「今の自分に必要かも?」ってピンと来られるものがあれば、ぜひ! 

1、キリストの顔を見ながら、キリストコントロールを感じる

筆記用具を手近に用意した後、

誰か一人、人を選んで、

実相の安らかさの中で安らぎながら、その姿を思い浮かべながら、そこにキリストの顔を見てみましょう。

安定した深い愛でつながった人を選んだら、やりやすいかもしれないし、

ちょっとハンディをかけて、チャレンジしたい方は、どちらかというと苦手な人や、気になる人、ゆるせない人などをあえて選ぶのも、いいかもしれません。

いずれにしろ、まずは温泉ワークをして、その人を思い浮かべた時に湧いてくる感情を全てそこに浸して、おだやかにして、十分安らいでから、

その方の姿を、思い浮かべられる、その方を温泉にご招待されると良いと思います。

その人と実相の安らぎの中で、深くつながりながら、

自然に何か思いついたことがあったら、書き留めていってください。

そこで書き留めたことのうち、これは行動にうつした方がいいなとか、本人に伝えた方がいいなと特にうながされることがあったら、ぜひそうしてみてください。

2、スピリチュアルな特別性を手放す

スピリチュアルな啓発を求めて、本を読んだり、ビデオを見る機会などがあったら、そのとき、

① 自分は、そこから、情報や癒しや成功や、(普通の意味での)奇跡的な出来事など、何らかの形あるものを、ゲットしようとしているのか(まるで、ショッピングする時と同じような態度で)それとも、

② この発信者、著者と同じ「意識状態」に到達したいと思っていて、そのために、自分自身、どんな努力も厭わないと思ってるのだけれど、

ただ、そのためには、どちらの方向に進んで、何をすれば良いのか、はっきりわからないので、そのために手がかり、ヒントを得るために、これを読んだり、見たりしたいって思っているのか

どっちの動機がそこにあるか、自問自答してみることです。

①の方であると、そこには特別性が巣食う余地、あるかもしれません!

3、ゆるしのシンプル化をはかる

ゆるしって、人によって、状況によって、さまざまな形を取ると思いますし、

コースを長く実践されてきた方は、すでに、自分流のスタイルが、確立しているかもしれません。

ただ一概に言えることとして、

心が動揺するたびに、それを、赤ちゃんのような記憶のない無垢な視点で、

ありのままに、ジャッジ抜きで見ることができるほど、

またそこで、ただじーっとしていれるようになればなるほど、

聖霊視点と速やかに合流できるし、安らぎの中へストンと落ち込むのも、速いですよね。

これから2週間ほど、そのあたりを留意しながら、

ゆるしの方法は基本的に、これまでやってこられた形を踏襲されて構わないと思うのですが、

シンプル化、迅速化、はかれないか、ためしてみてください。

小さなゆるしの機会から始められると良いと思います。

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