2023年9月に始まって今も続いているヘレンのノート版ACIM読書会の内容のあらましで、会の前後にみなさんにメールした予告編や、学習内容を定着するワークを、ご紹介しています。
会そのもののビデオは、今も、1本1000円、5本以上そろっての購入だと1本500円でシェアしています。
もしビデオを観られることにもご興味ある方がいらしたら、堀田真紀子(mhorita*gmail.com *に@を入れてください)まで、ご連絡ください。
ヘレンのノート版ACIM読書会 これまでのタイトルの全て一覧できる目次のページはこちらからお入りください。
今回使用したテキスト****
今回の第1回目は、奇跡の原理1、2、3、4、5、6、などを中心に扱いながらお話しさせていただいています。
テキストは、ここをクリックして、出てきた文書の該当箇所をみてください。
青い本と紫の本が、比較対象できるように、試訳をならべてあります。
テキストの文字が紫色で書かれているところは、紫の本の試訳
青字で書かれているところ、青の本の試訳です。
これと、カメオエッセイ1「これは自己中心的に使えるようなギフトではない」を扱っています。
カメオエッセイとは、紫の本の巻末付録に入っている、33のエッセイ群のことです。
紫の本の編者であるロバート・ペリーさんが、コースを深く理解するのに、役立つと思われる、
コース筆記の背景にあるエピソードや資料をまとめてくださってる、エッセイです。
短いエッセイばかりですが、
小さくても、遠くからでもはっきり見てとれる、カメオペンダントの浮き彫りレリーフの横顔のように、
コース成立の様子、そこにかかわった人たちの人となりを、くっきりと浮き彫りにしてくれる
コース成立にまつわる名場面集のようなところがあります。
今回扱うカメオエッセイ1の試訳は、ここにあります。
にあります。
予告編****
あらためて、なぜ、このバージョンで読むのかについて、考えてみました。
コースを学んだり、そこから得られた気づきを分かち合う場をつくると、
その場そのものが、そこにたまたま集まった人たちにとって、
ゆるしや癒しの機会をたっぷり提供してくれて、
知らず知らずのうちに、コースの内容が、実地で体験できるってことよくありますよね。
この本のそもそもの始まり
これを最初に書きとることになったヘレンやビルにとっては、これが何倍もの強度で体験されたみたいで、とくに初めたばかりの頃は、凄まじいゆるしや癒しの日々だったみたいです。
二人それぞれに、独特の、癖のある自我を抱えていたわけですが、
この大きな使命が果たせるように、大急ぎで調節する必要もあって、
短期間で、急速な浄化のプロセスを潜り抜けることになります。
そんなこともあって、コースの口述は、
コースそのものの内容とならんで、
イエスが、二人に向けて、二人のゆるし、癒しを促し、サポートするための
個人的なアドバイスが混在してたんです。
イエスの指示もあり、
公式版のコースを出版する頃には、
そんな箇所は、どんどん削り取られていきますが。
このノート版には、それがまだ残されています。
コース成立をめぐる、二人のこのゆるし、癒しのプロセスが伝わってくるのが、
このバージョンでコースを読む、醍醐味の一つですね。
それと、ケニス・ワプニックによるヘレンの伝記『天国を遠く離れて』を読み合わせると、その様子がますます立体的に感じられてきます。
そうやって読み込んでいくにつれ、まず思うのは、
彼らも私たちとお~んなじだってことですね(笑)。
自分の本性についての誤解、つまりアイデンティティの問題をたっぷり抱えていて、
卑小さ、弱さをめぐる根強い信念や、それをごまかして、平気なふりをするための巧妙な防衛機制。犠牲者意識からくる怒りなど満載だったのに、
いきなり「あなたの本性は無垢で完璧。あなたがなしたと思っているあらゆることはすでにゆるされている」と告げられ、
大急ぎでアイデンティティの引っ越しをするように迫られて、ちょっと混乱気味だったり。
急に出てきたサイキックなパワーを、思わず見せびらかしたくなったり、「自分は特別だ」という意識を、思わず持ってしまったり・・・
それを見守るイエスの忍耐強い、愛情深い、と同時に特別性を知らない、時間を超えたところから注がれる安らかで淡々とした視点も、ヘレンが書きとる彼の言葉から伝わってきます。
神の救済計画の中の自分の持ち場を受け入れることで、
ちっぽけな自我としての私たちから、大きな私たちへの「アイデンティティの引っ越し」にともなう、
恐ろしさや、藁をも縋ろうとするような、いまさらの抵抗の悪あがき、
その途上で、巡り合う機会、たっぷり提供される、どうしてもゆるせない人々や、
特別の関係への誘惑を、なんとかゆるそうと悪戦苦闘する様子(笑 みんな、身に覚え、ありありですね!)
そうしたことが、時間を超え、世界を超えたイエスの視点からはどう見えるか
何となく、伝わってくるのです。
この視点から見ると、とても簡単なことのように見えるのに、何で、こんなに難しいんでしょうね!
*おすすめワーク****
ACIMは楽譜のようなもの。 それぞれの学習者がそれを生きることで、 そこからそれぞれの音楽のパーツを演奏することで、意味を持ってくるって思ってます。
そのためにも、皆さん一人ひとりが、ここで学ばれたことを、自分の生活の中で、どう活かし、生きていくかを自問自答しながら、学習を進めていかれると、これほどうれしいことはありません。
ビデオを見ながら、 そこで語られていることの中に、 今の自分の学びのプロセスで、活かせそうなことがあったら、 ぜひ、実践してみられることをお勧めします。
特に私の方でおすすめするワークがあるとしたら、
1、奇跡がもたらす「確信」を深めていく練習
毎朝、夕など、習慣的に、神との一体性を感じる、瞑想や祈りを深めるときを持っては、
神と一つである「神の子」として、自分が、自然に、当然の権利として持っている
やすらぎややさしさ、ここに真理があるという確信を、確かめてみられるといいと思います。
2、「高次の思考」が、流れ込んでくる構造を心に作る練習
前回のビルの「主よ、私はここにいます」という言葉だけにフォーカスする祈りが気に入られた方はそれを続けられてもいいし、
ワークブックレッスンや、テキストの言葉や、他の真理を表す言葉にフォーカスしながら、心を空っぽにしながら、同じように、ただじっとする時間を持たれるのもいいかもしれません。
安らぎが心にひろがってきたら、そこに、なんであれ、心に浮かび上がる雑念、「低次の思考」を捧げていかれるのもいいかもしれません。
焚き火に小枝を加えるごとに、火の勢いが増すように、安らかさややさしさ、聖霊の気配がどんどん強まってくるのを感じられるかもしれません。
高次の思考のダウンロードが始まったなと思われたら、ぜひ、ノートをとって、記録してみましょう。あるいは、それを積極的に生きたり、分かち合ってみましょう。
3、 「今」にいる居心地の悪さ、漠然とした不安、欠如感を、分離の信念のサングラスをかけたままで、なんとかしようと、自己流に動いている自分に気づく練習
そうやって時間が紡がれていくわけですが、
そこで、これをなんとかしようとして実際に「動く」前に、
一瞬立ち止まって、そこにあるをありのままに感じて、聖霊にゆだねていくってことをやってみるのもいいかもしれません。
