奇跡のコース

自己概念がゆるみ 途方にくれたところで感じる 聖霊の愛!

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私は三年半ほど前まで講義をしたり、論文書いたりするのがなりわいの、大学教員を辞めてから、著作に集中して生きていこうと思ったのだけれど、
コースの学習始めてから、エゴで書けなくなって、しばらく著作らしい著作、書かずじまい。

カースティンさんの”I Married a Mystic”を読んでいるときに、「これを翻訳するのです」という聖霊のうながしを感じて、カースティンさんやリビングミラクル・コミュニティのアンさんにコンタクトをとるやいなや、一挙にたくさんの人たちとつながって、いろんな人に巻きこまれ、一つの大きな流れの中に乗った感じがありました。

これはしばらく、通訳や翻訳者として、
聖霊から語られた言葉を、伝える人に徹しなさい・・・
そうすることで、エゴではなく、聖霊から語る訓練をするのです。
著作家としてのエゴの取り消しレッスンです

というガイダンスなんだなと、素直に従うことにしました。

でもだんだん
私は謙虚で無私な仲介者。
これまでのように、エゴから、自分の言いたいことを言おうとしたりはもうしないのよ・・・

というのが、それ自体また一つの自己概念になり、自己陶酔的なドラマになってきた様子。

エゴはホントに油断がなりません。

今回の葉山リトリートでは、ありがたいことに、この自己概念の取り消しが始まることになりました。

そもそも私がそこに来たのは、あすかさんの通訳のお手伝いをするため。
ただ通訳をはじめると、このリトリートの撮影・録音をしているラファエルから、私には人の話を聞きながら、「うんうん」と声を出す癖があって、マイクを通してその音が拡大され、録音されてしまうという注意が入るようになりました。

一生懸命、それを抑えようとするのですが、夢中になるとどうしても、「うんうん」と言ってしまうのですね。そんなわけで、マイクなしでやってほしいといわれ、マイクを外すと、今度は声が聞こえないと言われ・・・
通訳者から外れてくれないかということになりました。

葉山リトリートは、直前にえりぃさんという通訳者も現れ、あすかさんとあわせて3人。
そもそも、別に私なしでもできる状況も整っていたところでした。

というわけで、私、途中から、この役柄から降りることになりました。

通訳のお手伝いをするために、はるばる北海道から来ながら、
通訳をやらずにそこにいる
自己概念が紡いでいくストーリーからはちょっと「ありえない状況」になったわけです。

テキスト31章5節「自己概念と自己」の末尾に、

「私は私であるものを知らない。だから私が何をしているのか、私がどこにいるのか、この世界と自分自身をどう見ればいいのかもわからない」

とありますが、まさにそんな気分。

もちろんショックで、
申し訳ないし、途中で帰ろうかとも思いましたが、

実際、そうしなかったのは、
何となく、どうしてこんなことが起きたか、
心のどこかで、腑に落ちていたのですね。

先ほどの「謙虚で無私な仲介者」のドラマや
教員時代から引きずってた、人前で自分はできることを見せなきゃいけないという自己概念の名残を手放していくまたとないチャンス
聖霊のはからいなんだってことです。

自分の言葉で語る人の役を降り、
人の言葉を伝える人になったかと思ったら、今度はまたその役も降り・・・

といった具合に、
これでもか、これでもかと自己概念の手放しを次々と迫られてるわけですが、
どうやらこれが私の救済計画みたいです。

***
というわけで、怒涛の葉山リトリートでしたが、
結論からいうと、とてもありがたい体験になりました。

何度も何度も、

何のために、私、ここにいるんだろう? 
本当に、本当に、さっぱりわからない!

と自問自答してましたが、

そうやって途方にくれるほど、空っぽな心の中に、聖霊が入って来てくれます。

すると心の中から、じわじわっと能天気な喜びが湧いて来て、

私がわからない、でも、聖霊は知ってる! だったら、いいか!

と思えて来て、あすかさんとえりぃさんという2人の通訳のサポート役もどきを、後ろでさせていただきながら、最後までいさせていただくことになりました。

本当に、この癒しの体験を可能にしてくれた皆様
とくにラファエル、のり子さん、通訳チームのあすかさん、えりぃさんには感謝してます。
クリントの言葉を使えば、アイシテルヨ・・・

*****
自己概念としての「役柄」は、罪悪感と表裏一体。
どんなにいい「母」や「通訳」や「教師」を演じようとしても、
そうすればするほど、エゴのあら探しはとどまるところを知りません。

北海道イベントで「ホスト」という役柄をしていたときにも、このトリックには苦しめられましたね。
食事が、送迎の運転が下手くそだとか、掃除が行き届いていないとか、
いろんなことが気になってましたもの。

役柄におしつぶされそうになる。そんなときにはいつも、
私は誰? ここはどこ? まったくわかりません。
と空っぽになって、それを知ってる聖霊を心に招けばよかったのですね。

自己概念をどんどんほどいていく
このとぼけた心の空白、おバカさん状態に
聖霊を招待して
ガイダンスを受けながら生きていくよろこび

というか、自己概念がゆるんでくると、聖霊に教えてもらわないと、本当に何一つできないって、身にしみて思うこと。
それが、今回のカースティンさんとのリトリートの私の一番の成果かな?

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