自分自身を自分の人生の作者だって考えるというのは、
世間では当たり前だって思われていますが、
それをやめると、本当に楽。解放されます。
私自身、自主独立気質、人一倍強かったのですが、
おかげでいつも権威との衝突の問題を抱えて来ました。
父親との関係から始まって、
自分の通りにしないと気が済まない、いちいち細かいところまで、指示・命令するおじさんを繰り返し引きつけてしまって、いつも葛藤状態にありました。
今一緒に暮らしているパートナーもそうだし、アメリカにいた時も、そういうおじさんと一緒に、サンフランシスコ禅センターの厨房で働くことになったり。
どんなに遠くに来ても、似たような人と出会うのはなぜなのか、不思議でしたが、今思うと、自分の人生の作者author であることを手放しなさいというレッスンだったのですね。
その後、コースに出会い、聖霊に人生をゆだねるようになると、レッスン修了したみたいで、この手の出会いがぱたっとなくなりました。
同じパートナーと一緒にいますが、彼との関係も、びっくりするほど変わりました。あれこれ命令されても「かちん」とこなくなっただけでなく、向こうから逆に私の意向をたずねてくれるようになりました。外から見ると平等になった・・・でも内から見ると、むしろ一体感が強まってきた感じです。
コースのテキストだと3章6節、「ジャッジメントとオーソリティの問題」がこの問題にあてられてます。「権威」と日本語に訳すと、わかりにくくなるのですが、英語でauthority というと、author という言葉を連想させられます。オーソリティの問題とは、人生の作者を誰とみなすかってことなんですね。
自分を自分の人生の作者だとみなさなくなると、権威に反発する気持ちや、誰かと権力闘争したい気持ちも、一切失せてしまいます。
ただ、独立していたいという気持ちがまだまだ強い場合は、
いきなり「聖霊にすべてゆだねる」というより、
自分がやることなすこと全てを、どこに目標を置いてやるかという、目標設定の問題だって考えるといいかもしれません。
目標を、自分を証明することにではなくて、みんなと、すべてのものと一つになるところに置くわけですね。
コーステキストの、「あなたは正しくありたいですか? それとも愛する人loving でありたいですか?」という、あれです。
正しい人、できる人 → 愛する人、一つになる人
へと、目標をシフトするわけです。
その上で、仕事でも家事でも何でも目の前のことをやってると、自然に聖霊の視点になってくる気がします。
その気持ち良さの味をしめながら、
もっともっとそうなりたいな・・・と思う時、
聖霊にすべてをゆだねたいという気持ちに、
自然になってくるのではないかしら?
