奇跡のコース

「何もする必要はない」ことをあくまでベースに、何かをしながら生きていく

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スピリチュアルな道は、ある程度先に進むと、前進してるはずが、後退する袋小路に陥ってるように思われることがあります。

そういうときはたいてい、全体を部分に、時間の外にあるものを時間の中に、抽象的なものを具体レベルに落としこむ
レベルの混同をしていることが多いみたい。

たとえば、「いつか」、「どこか」、おそらくは遠い将来、多くの困難をへて、突然、訪れるかもしれない悟り、至福・・・について想像(妄想!)をふくらませ、その準備を「これこそ正しい」と思われる、何か特別なかたちでやってる。毎日「これ」をやりさえすれば、「いつか」悟れる、しあわせになれる・・・と固く信じて。

でもその前提にあるのは、自分は「ありのままじゃだめ」「このままじゃだめ」だという罪悪感ベースに「頑張る」こと。つまり、「今」をないがしろにして、「いつか」をめざす未来志向。線の時間を強化する働きをしてしまいます。

でも、悟りもしあわせも、「今」この瞬間以外のどこにも見つからないわけですよね。

だから、このやり方だと、やればやるほど、目標から遠ざかることになります。コースの言葉を使えば、時間を超えたものを、時間の中、というか、ますます強固に時間をつくっていくことで、手に入れようとしてる。あるいは、「かたち」を超えた「全体」を、「かたち」の中、「部分」の中に探そうとしてるってことになるからです。

特定のポーズで、特定の言葉、特定のグル、メソードによるスピリチュアルなアプローチ、すべてそうですね。特定の「かたち」の操作、特別性の強化(自分のやり方はそんじょそこらのと違う)、線の時間やと罪悪感の強化(まだまだ、頑張りが足らない)、取引の発想(これだけ頑張ったのだから、投資したのだから、見返りがなくては・・・)などなど、エゴを強化するばかり。それ自体、悟りやしあわせの大きな障害になって、膨大な時間を無駄に使うことになってしまいそうです。

だから、コースでは、「あなたは何もする必要がない」と言うのですね。でも、油断すると、すぐに、このモードでアプローチしてしまいます。

たとえば、コースの「テキスト」を完読、「ワークブック」を何ラウンドも繰り返し・・・「原語」で、「原典」にもあたり、一字一句「正しく」理解する・・・あるいは、ひたすら、ゆるしを、野球選手が空振り練習のノルマを果たすように、毎日何百、何千回とやる・・・そうすれば、いつかとてもしあわせになり、だんだん、スピリチュアルな「能力」が増し、いつか、それを「キャリア」に暮らしていけるかもしれない、「成功」できるかもしれない・・・などなど。「 」に入れたのは、すべてかたちと特別性の世界に属してますものね。

もちろん、一切それをしてはいけない、ってわけではありません。スピリットからのガイダンス、インスピレーションからそうするようにうながされることも、ありますから。

でもそれなしで、「これさえすれば、うまくいく」と、がむしゃらにやるのは、線の時間、罪悪感や取引の発想、エゴの強化に励んでるってことになる。やればやるほど、目的から遠ざかる罠にはまってしまうわけです。本家のアメリカには、実際、何十年もコースの学習に励むうちに、白髪頭になったけれど、根本的な変化をほとんど体験してない人が、たくさんいるのだそうです。

というと心配になりますが、このモードのときは、疲れを感じがちだったり、ちっともしあわせや安らぎを感じられないので、すぐにわかります。「最強」に思われる特別な「かたち」にいくらしがみついても、無意識のスピリットレベルで、私たちはすでに、かたちあるものはすべてあてにならないことを知ってる。だから、固執すればするほど、たとえば、「こんなに頑張って、お金も時間も使ったのに、また裏切られることになったらどうしよう?」と不安やおそれ、罪悪感が出てきます。

この罠にはまらないために、一番役にたつのは、やっぱり、「体験」を一番中心に置くことでしょう。

それより、「今、ここ」で、あなたが現に「感じていること」に全注意、全神経を集中するのが、肝心だって思ってます。

とにかく、コースの言葉に触れたり、レッスンした時、心に感じられる安らぎ、幸福感をいつも中心にすえるのが、肝心だと思います。

何か心に引っかかり、暗く影を落とすものがあるのに気づいたら、すぐにゆるす。

その雲の合間から、ほんのわずかにでも、幸福感、安らぎが感じられてきたら、それをつかんで離さないで。

その感じに、すべてがかかっているのだから。
大切に大切に、育んでいってください。
最初は、かすかな、予感のようなものでも構わないと思います。

静かに、ゆっくり、それをかみしめているうちに、だんだん確かなものになってきます。

この安らぎ、しあわせをしっかり感じながら、「どうすれば、これをもっと力強くして、生活全体をこの色に染められるだろうか」って、そのことだけを考えながら、そのためのとっておきの「道具」として、テキストを読んだり、レッスンをする。

安らぎや幸福感が感じられなくなったら、すぐに学習をやめるくらいの態度でいいと思います。
何らかの理由で、スピリットが感じられなくなったってことですから。主人公のいないまま、劇をつづけることはできませんから。

そんなふうに、あくまで、幸福感や安らぎの体験によりそっていくのが、
前進すればするほど、後退してしまう回り道を一番着実に避けれる方法だと思います。

スーフィーのたとえ話に、スプーンにつがれた香油をのせて、家中をまわる修行をする人の話があります。こぼさないようにするには、とても注意深くなければなりません。くねくねした廊下に入り込んだり、石につまづくこともあるかもしれない。何があろうと、一瞬一瞬、体全体のバランスをとり直しながら、歩かなきゃいけません。

それほど大切にされているこの香油は、安らぎ、スピリットとのつながりのことをあらわしているのですよね。そしてそれは、四六時中、生きている限り、注意をこらし、大切にし続ける必要があるってことも、この話は教えてくれます。

そんなふうに、心の安らぎ、幸福感を保つことをあくまで生活の中心に据えながら、それに向かって、「どうしたらあなたをもっと強く感じていられるでしょう?」と問いかける。あるいは、「あなたの中に全身浸り、生活全体を浸して、生きて生きたいです。そのためにはどうすればいいでしょう?」と問いかける。すると、どうすればいいか、何となく、ひらめきます。つまり答えが返ってくる。それが、ガイダンスです。

その上で、コースのテキストを読んだり、レッスンをしたり、
あるいは別のメソッドの別のことをやるようインスピレーションが湧いてきて
まっさらな白紙の状態から、
自然にうながされてやるのならば、
もう回り道におちいる危険はありません! 

あるいは、コース以外の、何か他のことをやったほうがいいと感じられる時には、もちろん、それをやるべきだと思います。

コースは、本当の幸福、心の安らぎのありかを教えてくれて、しかもそれを深めるためにガイドしてくれる存在が自分の中にいることを気づかせてくれる点で、私にとってかけがえのないものでした。でも、その両方が自分の心の中にしっかり感じられるようになると、あとはもう、そこからぶれずにいるため、それを深めていくための道具にすぎない感じです。そのうち、テキスト自体は、いらなくなる日もくるかもしれません。

というわけで、今日の私も、スプーンの油が教えてくれるうながしにしたがいながら、この文章を書きました。

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