「最近、いいことがない」「しあわせ感じられない」と思う時やるといいのは、どんなことが「いいこと」、どんな状態が「しあわせ」かについて、自分で決めたルールが沢山ありすぎるんじゃないかってこと。たとえば、しあわせであるためには、家族は上機嫌、みんなが自分ににこやかに笑いかけて、パソコンやスマートフォンはスムーズに起動して、Facebook投稿には沢山の「いいね」がついていて、なくなったものはすべてすぐに見つかって・・・・その基準があまりに高いので、当然、ほとんどのことが、パスしません。だから「いいことなんて、全然ない」って思われるだけなのかもしれません。
ということは、しあわせになるのは、実は簡単。逆にそのルールを一つ一つ剥がしていけばいいことになります。
私が最近、凝ってるのはそれですね。何かに「がっかり」したり、「カチンときたり」することがあるたびに、「じゃあ逆に、どうなれば、うれしいってわけなのかな?」と自問自答みるわけです。
そうすると、大抵、子供っぽい、非現実的な期待を抱いているのに気づかされて、まずは苦笑してしまいますね。
次にそんなバカな基準、手放しましょうと、まるで小さな子供をなだめるように、やさしく自分に言い聞かせ、おもちゃでもとりあげるように、いたわりながら取り上げていく。
なぜいたわるかというと、そんなに高い基準の要求をいつのまにやら、たくさん心に抱え込んで、お高くとまって生きるようになった背景には、相当の心の傷があるはずだから、
とにかくそうやって、「しあわせになるためにはかくあらねばならない」自分で決めた前提、ルールを一つ一つ外して、白紙に戻していく。すると、逆にどんどんしあわせになっていけます!
こんなに簡単に、しかも確実にしあわせになれる方法ってないのにね。みんな逆のことをしてるというわけです。つまり自作のルールの中で、一生懸命ひとり相撲をとってる。そのルールさえ外せば、あらゆる小さなことにしあわせの種が見つかって感謝できるし、一見すると悪いことも、いいことの始まりだってこと、見えてきます
といっても、いつの間にか、「しあわせになるためにはかくあらねばならない」というルールをでっち上げてしまうのが私たちの心の常というものなのかもしれません。この性向をかわすために私がやっているのは、「何が本当のしあわせなのか、私にはさっぱりわかりません、どうぞ教えてください」と、神様によびかけるように、毎日を生きること。そうすると、あんなこともうれしい、こんなこともうれしい。日々新たなしあわせの発見があります。
