アートとしての人生

生活は多彩なまま、目覚めの道を行く!

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コースの学習が進むと、だんだん、エゴの動機によるもの、スピリット側の動機によるものが、瞬時に見分けられるようになります。

そのときに、陥りやすいのが、「これはエゴ側、だからやめとこう」と、生活からどんどん、「エゴ」の匂いがするものを一切追放してしまうこと。そうすると今度は、生活から多彩なゆたかさが失われたり、世間との接点がどんどん少なく、偏ってくるおそれがありますね。

もちろん、コースの学習が進むにつれて、それまで依存してたもの「どうしてもこれがなければはじまらない」と思ってたものが、一つずつなくなっていって、爽快感を感じられるのは確か。

ただ、だからといってみんな一掃してしまうと、気持ち良いシンプルさの域を超えて、だんだんストイックな隠者、パラノイヤ、変な人の域に近づいて来るかもしれない。これまで大切にしてきたことに対する執着は捨てる必要はあるけど、縁を切る必要はないのですよね。きっぱり切り捨てなきゃと思うこと自体、執着してることの裏返しってこともあるし。

私も、「スピリットからきたものしか書かない!」と決めこんだ後、これまで進めてきたプロジェクトのほとんどを投げ出す必要があることに気づいて愕然としたことがあります。

そんなふうに「切り捨て」モードが高まって、身動きがとれなくなってきたとき、たぶんホーリースピリットからもらったインスピレーションとして閃いたことがあるので、シェアしますね。

それは、

あなた自身は、エゴかスピリットかなんてジャッジする必要は何にもない。
ジャッジしてる時の主体そのものがエゴなのだから。

代わりに、とにかく何でもすべて、私に渡しなさい。

どんな意外なものも、恥ずかしいものも、不純に思われるもの、エゴむき出しのものも、目覚めの道具に変えますから。

あなたの人生の多彩なゆたかさはそのままにして、それがそのまま、時間や空間を崩壊させ、すべてが一体になる世界へのかけはしに変えますから

というもの。

これはエゴだスピリットだなんて、ジャッジする傲慢さそのものが、エゴだったんだと目から鱗。

そういえば、私が好きでよくウェブ上で訪れてるディビッド・ホーフマイスターのコミュニティも、ずいぶん快楽主義的な雰囲気が漂っていて、B級映画の上映会から、ミュージックフェスティバルから、何でもありだものね。

とにかく何でも、ホーリースピリットに使ってもらえばいいんだと思った次第。

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