私同伴の東京リアルの会、今はほぼ半年に1回くらいの割合でさせていただいていますが、
ありがたいことに、固定のメンバーも増えてきて、とても意欲がある方たちばかり。
そんなこともあって、目的をはっきりしたトレーニングをする要素も、加味してるところです。
身体との同一化を外す
来る4月19、20日の会で、ぜひとも、実現したいなと思ってることの1つ目は、
身体は思考がつくりあげていて、私という体験の真実、実相、リアリティの中には全く実在しないことを、はっきり実感してもらうこと。
そんなこと言われるとびっくりされる方も多いかもしれないけれど、本当だし、誘導瞑想的な実験で、はっきりと腑に落とすこと、できます。
私自身、この道を歩んできて、いくつか飛躍的に進歩した瞬間があったのですが、その一つ、トップ3に入るのが、実相の中には、身体なんて、どこにもないじゃない? ということをはっきり腑に落とした瞬間でした。
そのあと、何が起こっても、恐ることがほとんどなくなって、昔だったら血相変えたり、パニックになりそうなことも、大笑いでやり過ごせるようになったり、心が本当に静かになりました。
何をやったかというと、ルパート・スパイラさんのヨガメディテーションですね。
ものをただ体験することしかできず、
記憶を参照して、慣れ親しんだ過去の体験の鋳型にはめることができない、
そんな生まれたての赤ちゃん視点で、ひたすら身体とよばれている体験を調査する筋書きの Transparent Substance of the Body という瞑想をビデオの誘導に従いながらやっている最中にこの突破が起きました。
最初は正直言ってショックで、このショックの余波から立ち直るまで1週間くらいかかったのですが、今はいい思い出。真の解放というものがあるとしたら、この時自分が体験したものだったなと、思ってます。
その時私がやっていたビデオ、今検索しても、見つけられなかったのですが、
Transparent Body, Luminous World という本の中に収められています。(オーディオブックのバージョンもあって、聴きながら瞑想できるのでおすすめです。もちろん英語なのですが、日本語で手っ取り早く様子が知りたい方、私がつくった簡略短縮、それ「もどき」誘導瞑想であれば、ここ(←をクリック)にあります。よかったらおためしください)。
監獄をこれ以上作らない思考との付き合い方
2つ目は、これ以上、自分を閉じ込め、苦しませるような幻想の監獄をつくらないように思考と付き合う、そのつきあい方を共有することです。
ちょっと抽象的に聞こえるかもしれませんが、私たちの悩みのほぼ全ては、自作自演劇の一部なんですね。
本来私たちが持ってる安らかさや満たされて何の欠けたところもない充足感や自信・・・といった実相の性質を絶えず否定して、そこでくつろぐことをせずに、
欠けたところ、改善すべきことがある、私はまだまだ不十分、このままでは愛されない、認めてもらえない・・・と一人合点して思い込んで、その証拠を見つけたり、そうであること想定される結果に対して防衛したりすることで、私たちの人生のほとんどが費やされてしまいます。
要するに不断に、実相から分離することを選んでるわけですが、
それは、おそれやあせりや不満やモヤモヤした感じといった漠然とした感情(分離からくる感情なので分離感と呼ばせてもらってます)を抱くことからはじまりますよね。
たとえば朝、何かの拍子に、恐れに襲われたり、不機嫌になったとします。
それを実相の静けさの中で単なる「感情」として見直して、自然に静まるのを待ってから、
1日を始めることもできます。
でも、もう一つの選択肢として、この恐れや不機嫌さの原因だと思われるものについて、あれこれ考え始め、最悪のケースについて考えたり、それをどうすれば防げるかについてなどなど、際限なく思考を紡いだり、そこで思いついたことを、実行にうつしたりしているうちに、だんだんその感情がリアルになり、大きく膨らんで行って、そのムードにすっぽり包まれて1日を送っていると、
たとえば道を歩いていると、偶然(?)、とても無礼に感じられることをする人とすれ違って、いらついたり、
物にぶつかったり、転んで怪我をしやすくなったりなど、いやなことが頻発するかもしれません。
そんな体験をされたことないですか?
でもそこで私たちが体験することになった全ての「世界」も、
朝、恐れや不機嫌さを感じた瞬間、それを器の中に置いて、実相に包むようにして、自然に静まるのを待ってから1日を始めていたら、全然、作る必要はなかったというわけです。
代わりに、ただ、私たちの心の中にある平安や愛が、まわりに延長し、広がっていくような1日を送ることができたかもしれません。
その手のことが、この譬え話のような小さなスケールでもあれば、大きなスケール、長いスパンでもあるというわけです。
分離からくるネガティブな感情は、そこに思考の餌を与えると、どんどん膨らんで、世界を作り始めます。
それを萌芽状態で鎮めてあげるために、瞑想したりワークしているわけですね。
つまり、分離感を少しでも感じて、心がざわざわ、鬱々し始めた瞬間、思考を止めて、ワークを始める習慣を培って、
不安から思考を始めない・・・というのを徹底させる必要があります。
思考は、分離感を増幅させ、巨大化させるアンプの役割を果たすからです。
分離感からすでに思考が始まってしまっていたら?
すでに絡み合った思考と分離感を引き離す必要があります。「どう感じられるか」だけに集中して、それを感じる理由だと思われたことをはじめ、思考を全て外して丸裸にする必要があります。
記憶を持たない生まれたての赤ちゃんになった
感じることしかできない動物になったと思って、
思考の産物、全て振り落としてください。
どうしてそこまで、思考したことに不信感を持つ必要があるのか? 本当にこれを腑に落とすには、原因と結果を逆にするエゴの働きをはじめ、ACIMの理論をマスターする必要があって、この記事ではとてもカバーできないので、また機をあらためてお話しできたらと思います。
AIによって、いくらでも思考が増幅させる時代、思考と感情を分離するのってとても大切
思考は、私たちの分離感を増幅させながら、その分離感の中にある信念を証明する幻想の監獄を、一つの巨大な世界としてつくりあげる働きがあることについて、お話ししてきましたが、
この思考の働きを、今というこの時代には、AIという強力なツールがいくらでも強化してくれるわけです。だから、この手の世界の増殖も、無限大に膨らんでしまうかもしれません。
そんな中、思考を振り落として、そもそもこの世界をつくる「種」の働きをした分離感を炙り出して、癒してしまうこのスキルって、ものすごく貴重になるんじゃないでしょうか?
ワークの後に古い習慣が舞い戻るケース
その習慣は、だいたい定着した。で、ワークして、実相の中に分離感を溶かしこむこともできるようになった。でも、みんなや私が時々言っているような安らぎは感じたことないとか・・・ワークの結果に対して不安を持って、あれこれ思考し始める方も結構いらっしゃいます。
つまりまた、不安から思考する・・という癖に舞い戻ってるわけです!
せっかくワークできるようになっても、その結果に対して不安を持って、人の結果と比べたり、自分はまだまだ、何かやり方を間違えているのではないか・・・ジャッジする癖のせいで、前進が阻まれている方、本当に多いです。
私たちはこれまで全く知らなかった全く未知の体験へと、今、向かっているのですよ。
この未知の体験を未知の処女地のままにとどめ、
過去の学びに基づいた思考がそこに忍び込んで、
これまでも、欠如を埋めるエゴ駆動の舞台に植民地化するのを、何としても食い止めなければいけません。
思考はただの通訳
通訳をしたことがある人だったらお分かりになると思うのですが、
通訳するって、自分の思考を無にする、ちょっとした修行の場です。
通訳中に自分の考えを交えてしまうと、その人はダメな通訳ということになります。
通訳者の役目は、その場にいる人が知らない言語で伝えられたことを、そのまま、その場にいる人が理解可能な言語に転換することだけ。
実相という未知の領域を探索しはじめた私たちの思考も、これと同じような態度に徹する必要があると思います。実相に触れて体験したことを、ただただ、理解できる言語に訳すだけ。
たとえ、それがどんなに奇妙に見えても、あるいは、ありきたりの平凡なことに見えても、
それを自分の考え、これまで学んできた事柄と比較して、それについて文句をいったり、疑いを抱いたりする権利は、一切、持たない。
そうしてはじめて、このアイデンティティのお引越しの旅をエゴにハイジャックされて途中で引き返したりせずに、前進させていくことができます。
未知のものは未知のままにしながら受容する。それについて、考えを進めるにしても、ただの通訳としての謙虚な態度から決して離れないようにする。だって、私たち、何にもわかっていないのですから!
このことは、本当に、いくら強調してもし足りない気がしてます。ここで引っ掛かっている人、思いの外、多いように思われるからです。
東京リアルの会のあらまし、申し込みは、こちら(←をクリックしてください)の記事の特に後ろの部分を見てください。
