ヘレンのノート版ACIM読書会

休むって大切!〜「温泉ワーク」の由来

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最近、奇跡のコースのワークブックレッスン109 「私は神のうちに休む」についてお話しする機会を持たせてもらったのですが、

それ以来、「休む」ことに夢中、

それが持ってる深い含蓄をあますことなく味わうことに夢中になってます。

本当に「休む」って重要。特に、まなびがある程度、進んだ人には、おすすめしたいです。

エゴの癖を、取り消していくには、いろいろ「やる」ことがあります。

エゴの全ての発想のもとにある、思い込み、決めつけ、いわゆる「信念」の色眼鏡ごしに自分があらゆるものを見ていることに自覚的になって、

それが根も葉もないこと、ノイローゼをもたらす以外に、何の役にも立たないことを見抜くのは役に立ちます。

また、これまでこの色眼鏡越しにかき集めてきたデーターに基づいてやてきたことの逆をあえてやってみる

~たとえば、「不足」を見る代わりに、「すでにある」ものを見て感謝する、

「取る」代わりに「与える」などを実践して、何が起こるかを見届けたり~

これも確かに役に立ちますよね。

でも、ある程度それが終わって、そこに本当にあるもの~リアリティ、実相にかかった覆いが薄くなってきたら、

実相の中でただ休む。

そこにある、一体性の安らぎ、やさしさ、力、清々しい新しさ、

すべてがそこに萌芽状態でふくまれていることからくるゆたかさや智慧の充溢の中で、

何にもしないでただくつろぐ。

本当に何にもしないで、ただ、一番気持ち良いところでくつろいでいるだけなのに、

いろんなことが勝手に展開し、必要なところに、運ばれ、導かれていく

その感じを体感的に知る段階に入ります。

でもそこで、自分はまだ何か「やらねば」と、「頑張る」癖が残ってると、うまくいかないんですね。

というのも、何か「やらねば」と「頑張る」ってことは、

源泉とつながって、本当に幸福になるためには、

自分にはまだまだ、何かやらなければならないことがある。

という信念がそこにあるってこと、

そのまた前提には、

私は「まだ」源泉から分離してる(だから頑張らなきゃいけない)

という信念が含まれてるからです。ということは、つまり、

「本当に癒やされ、幸福になるためには、私にはまだやらなきゃいけないことがある」

と頑張るたびに、

私はまだ分離してる、私はまだ分離してる・・・・と自分に言い聞かせ、アファーメーションを繰り返していることになるからです。

つまり、一方で「一刻も早く癒されたい」と思ってアクセルを踏みながら、「そのために是非ともあれも、これもしなきゃ、だってありのままじゃ不十分なんだもん・・・」と、ブレーキを同時に踏んでる。

この空回りが、隔たりを作ってしまって、次のステージにいけなくなっている人が結構いる気がしてます。

代わりに、私は「すでに」源泉の真っ只中。それを認めて、その安らぎ、やさしさ、決して飽きることのない、いつも新鮮な喜びの中で、ただ休む。

この気持ちよく休んだ感じを保持しながら、

この流れが私を通してどう広がりたがっているか、それに沿って一緒に流れるだけ。

そんな態度に、そろそろ切り替える必要があるんじゃないかと思うんです!

といっても、私たちの文化って、「休む」ことに対して、どちらかというとネガティブな思い抱きがちですよね。

必要ではあるけれど、非生産的。いつまでもやってるわけにはいかないでしょう?

そんな刷り込みが、骨の髄まで染み込んでしまってますよね。

そもそも、私がいろんなところでいろんな人にシェアさせていただいている「温泉ワーク」の由来もそこにあります。

私がこの道に入ってからの最大のブレークスルー、発見は、

すでに私たちは、お魚が水の中で泳いでいるように、実相の愛や安らぎの中で呼吸し、それにどっぷり浸かりながら泳いでることに肌身で、つまり触れるほどハッキリと、気づいたことでした。それは本当、当たり前で、普通のことに見えるのに、

それになぜみんな気づかないで、

「見ざる言わざる聞かざる」の仕草で、周囲から、自分を閉ざし続けているのか?

本当に、それが不思議になってしまうほどなのですが、

それまでの自分のことも省みて思ったのは、最大の覆いになってるのは、

まだまだダメ、不十分、頑張らねば・・・と未来に来たるべき、理想状態に向かって、奮闘する姿勢、

つまり、神がまだ自分の外、本当の幸せの源泉の外にいて、そこに到達するために、何かまだやるべきことがある

そういう態度なんですね。

この手の心を閉ざす覆い、人によって、他にもあると思うのですが、私の場合はこの勤勉さの壁が一番大きくて、

それが常に、すでに、ありり余るほど、いやというほど降り注いでいる恩寵に対して、

目をつぶらせてきたのに気づいたわけです。

何にもしなくていい、

ただ立ち止まって、全てがそのままであるのをゆるして、

すでに来ているものをただ素直に受け入れる体勢になって、

そこで最初はわずかでも、感じられるこの恵みの中で、休息することを学んで、

この休息状態、being の状態に、徐々にでもそこに自分を慣らしていくだけでいい。

ひいては、そこから、自然に溢れ出るように動くようにするだけでいい。

それを勤勉な(笑)日本人にも説得できるように、苦肉の策として「温泉」のイメージを使っているんですよ。

それでも、「私は温泉に入ることができない」「入れれば、なにも苦労しないよ!」と言ってくださる方もいれば、

「毎日、一生懸命、温泉に入る練習をしています」と、言ってくださるかたもいらしたりします。

でも、「温泉に入ることができる」ことは、それができれば苦労しなくていいような「目標」ではないです。

むしろ、何かを「目標」と見立てて、「まだまだ自分はダメだ」と言って頑張る、「苦労してなんぼ」の時間の中のストーリーに入る必要はない、

ただ、休息しましょうよっていう呼びかけなんですよ。

もちろん、安らぎが感じられないということはあると思います。でもそれは、そこに安らぎがないことを意味してるわけではない。覆いがちょっとかかってるだけ。

実相の安らぎも、愛も、すでに完璧な形、これ以上改善しようのない形で、自分の中にあり、それはどこにも行かない。私が何をしようと、その事実は変わらない・・・という認識の下で、まずは安心しながら、

そこにかかってる覆いを取り除くという、引き算の作業を、のんびり、コツコツ続ければいいだけです。

その内訳は、誰かに、何かに悪感情を抱くことがあるたびに、

相手や状況のせいにせず、

それを見せている自分の色眼鏡〜そこに絡んでいる投影元の罪悪感、信念、思考を外す機会として、最大限活用するってことです。

これを続けていれば、

実相にかかった覆いが薄くなって、奥の光が感じられてくるブレークスルーの瞬間、必ずきます!

でも、実相に抱かれて、気持ちよく休む感覚がある程度わかってきた方には、

とにかく機を見つけてはそこで休む実践、おすすめです。

シンプルであればあるほど、いいです。

私がやっているのは、ただ止まって、目を瞑って、じっとして、

つながってる、つながってる・・・・ってそのことを、既成事実として、確認するだけ。

そして目を開いては、それが、どんなふうに、そこに見えることに反映しているかを、ただ、確認する。それだけです。

「頑張る」癖がまだ残っている方には、「ゆるしの温泉ワーク」をおすすめします。

ただ止まって、目を瞑って、じっとしながら、

さっと、今自分が感じていること、思っていることをスキャンして、

それをすべてそのままにします。

つまり、そのまま、ありのままであることをゆるし、受け入れます。

そうすることで、実相の安らぎは、私たちの体験の内容を、操作、コントロールすることとは何の関係もないこと、

平安な時も、悲劇やカオスの只中にいるときも、どんな瞬間も、いつも同じようにそこにあることを、確認できますものね。

そうして、ありのまんまを受け入れた時に、少しでも感じられる安堵感があったら、ただそこに浸ります。最初はちょっと足だけ浸して、「この温泉、ちょうどいい湯加減だ」って確かめたら、全身どっぷり浸かって安らぐような感じです。

その安らぎの中でまずは十分休むってこと、はじめてみましょう。

休んでる感じに十分慣れてきたら、

目を開けて、その時々に作業を開始しても、温泉に浸り続けるのはやめない・・・

そんな感じで、日々を送ることができたら、最高ですよね。

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