奇跡のコース

あらゆる「戦い」の兆しに降参した底に見つかるもの 11/28~12/1 京都・姫路リアルの会について来てるインスピレーション その3

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身体にも、分離を前提として働く心にも、触れもしない、そこから全く影響を被らない。

にもかかわらず、そこに触れるや、心身の状態を一変して、たちまち癒されてしまう。

前回のブログでお話ししたような意識にたどり着くには、他にも方法があります。

今日は心の中で、戦いが始まったのに気づいた刹那、鎧兜を捨てる、徹底した非暴力による方法、シェアさせてください。

どんな時であれ、完全にハッピーとは言えない、

何か居心地悪かったり、気に触ることがある時って、心を観察すると、

物事は、あるいは自分は「こうあるべき」「これが正しい」

しかし、現状はそうではない

そんないらだちが見つかりますよね。

ちょっと大袈裟な言い方をすると、心の中で「戦い」がはじまってるわけです! 

この戦いに対して、「こうあるべき」「これが正しい」と言い張っている勢力の方が勝利をおさめて、理想が実現すれば、ハッピーになれるというのが、エゴの主張です。

実際、私たち、ほとんどの場合、状況がゆるす限り、そうしてますよね。でもそれで、本当にうまくいったでしょうか? 一時的には心安らかになれても、今度は別のことが苦になりだしたりと、きりがないって思われたことも、あるかもしれません。

以下は、このアプローチは、もういい、別のことを試みてみたいという方向きの話です。

それはどうするかというと、戦いが始まった・・・と気づいた瞬間、率先して、それを諦めて、降参してしまうことです。

と言っても、それは本当は降参ではないのですが・・・

ここで降参して、徹底して諦め切ると、

まさにそのことによって、その底から、本当の「力」、

これとくらべるとこの世界でなされるどんな超人的な努力も、武装も無力に見えるような、

絶対頼りになる「力」がこんこんと湧いてくる

そんな源泉が見つかるからです!

とはいえ、この「力」の源泉に辿り着くには、

その前に、ちょっとした地獄めぐりをする必要、あるかもしれません。

というのも、そもそも、なぜ私たちが、「こうあるべき」「これが正しい」と自分が信じてるものを手にいれるための戦いを始めるかというと、

もちろん、守りたいものがあるからですよね。

守りたいものには、もっともらしい理想的な、美しい言葉で表すことができるかもしれませんが、

一皮剥くと、その奥に、「さもなければ、私は無価値、弱くて傷つきやすい、無力な存在だ」といった、分離感が姿を表すからです。

「こうあるべき」「これが正しい」をめぐる戦いをあきらめて、先に降参すると、解除したバリケードの奥から、この分離感がドッと溢れ出てくる可能性があります。

でもどんなに分離感が激しく出てきても、

強がりの仮面などなどで覆い隠されない、剥き出しの分離感は、

あわてず、ジャッジせず、ただじっと、何もしないで

静かに、愛情深く、我慢強く、ホールドしてるだけで、遅かれ早かれ消えていく。

翌朝目が覚めると、夢が消えるように消えていく。

このことを忘れないで、ただじっとホールドすることができれば、恐るに足りません!

たとえば、今私は、かすかな騒音がちょっと気になってます。ものを考えたり文章を書いたりするのに集中したいので、「静かであるべき」。そのために静かな場所に移動する手も確かにありますよね。それは全然悪いことではないし、私もそうすること、あります。

ただ今は、あえてここで、先に戦いに率先して降参してみたら何が起こるか、試してみたい好奇心がまさり、このままじっとしてみることにしました。

こうあるべきなのに、現状はそうではない。何とかしなければ・・・と力む時、頑張る時、戦う時にはいつも、想定される何か恐ろしい事態に対して、身を守ろうとする心の動きがあります。

先に降参してしまうってことは、自分を守るのをやめて、この攻撃を絶えず仕掛けてくるように見える恐ろしい敵に対して、殴るなり蹴るなり、好きにしてくださいと、完全にゆるしちゃうってことで、自分を明け渡してしまうことです。

私の場合、音が自分に攻撃を仕掛けて、ポカポカ自分に殴りかけてくるかのような感覚にまず襲われ、

と同時に、そのことをどんなに自分が恐れているか、自分が自分をどんなに傷つきやすい、脆弱な存在だって思ってるか・・・無力感が浮かび上がってきました。

そこで、「うまい具合に分離感が炙り出されてきたぞ!」と、しめしめ・・・と思いながら、こんどは、この傷つきやすい感覚、脆弱な感覚、無力な犠牲者である感覚を、

何もかも忘れて、今この瞬間に直接体験されるままに、じ~っと感じるってこと、はじめてみました。

音は依然として聞こえているのですが、音によって炙り出されたこの傷つきやすさそのものにフォーカスが移動するにつれ、だんだん背景に退いて、

それでも気にはなるのですが、いまやもう、この無力感を炙り出す一種の「装置」のような役割に徹してます。

で炙り出された無力感を、私はただじーっと感じ続ける。それだけです。

しばらくすると、この恥も外聞もかなぐり捨てて、自分が踏み躙られるにまかせているような敗北感の奥底から、

はじめは、かすかですが、自分の中に、芯が通ったような感じがあって、

「かかってこい」というような、妙な自信が湧いてきました。

この自信の中で、実は、異様に集中できることにも気づきました。

騒音と戦っていた時には、全然集中できなかったのに!

騒音さん(「さん」をつけて呼びたいほど、今は敵意ではなく、愛着感じてる)ありがとう!

って気持ちでいっぱいになりながら、

気づいてみると、いつのまにか、騒音、消えていました。

諦めた底に本当の力や愛や安らぎの源泉が見つかる、実相への入り口がある・・・というのは、いつもいつも、確かめられる。本当に、ありがた~い真実です。

たとえば、今、私がなぜにわかにブログを書き始めたかというと、

今週後半から、関西へ移動して、しばらくリアルの会合をオーガナイズする必要があるからで、

その準備を始めると、自然に、どんどんアイデアが湧いてくるからなのです。

ただ、私の方でやってることは、ほんと、今、お話ししたことにつきます。

少しでも、この会の準備について、私の心の中で「戦い」の姿勢が兆しとしてみられたら、

即刻、立ち止まり、降参する。

具体的には、「どうしよう、どうしよう・・・もう1週間もないのに、何をしていいのかさっぱりわからない」といった焦りが、ちょっとでも出てきて、「あるべき自分」と「そうでない自分」の分裂の兆しが見えて、頑張りモードに入りそうになった時点で、

「戦いはやめます、降参します」と開き直り、

わざわざ、好き好んで、派手に敗北を味わってるところ、

恐れている最悪の事態が起こるにまかせているところを、

イメージしてみるんです。

するといい具合に分離感からくるおそれがじわじわと炙り出されてきます。

それをぽかんとしながら(つまりあらゆるジャッジ、良し悪し、どうすれば癒せるかといった思考を外して)、ただじっとホールドするように感じます。

慣れると、爽快感そのもので、分離感がだいたい出尽くした頃には、大笑いしたくなることも、よくあります。

で、その後には、さっきもお話しした、「それでどうした! もっともっとやって! 私全然平気だもん」というような、根拠のない妙な自信が湧いてくる一点に達します。ちょっと違う次元に落っこちたというか、コースの言葉を使うと、「戦場の上空」にさっと浮かび上がった感覚です。

するとそのあたりから、アイデアが次々と浮かびはじめるんですね。

不思議な話ですが、本当で、私がいまだにこんな活動を続けていられるのは、

この方法を実践しているから。もう、それに尽きます。

戦いを放棄して、降参して、地獄めぐりをした後に見つかる力の源泉は、

絶対裏切ることはありません。

自力で、自分が「正しい」と思うやり方、自己流のやり方で戦いつづけるのを放棄するって、

最初はものすごく、怖いです。地獄めぐりも、迫力満点のショー(というのも、力の源泉を見つけた後の視点から見ると、この全てが結局のところ、「ショー」に過ぎないってわかるからです。このことをあらかじめ知らされているのも大切かも知れません)が繰り広げられるでしょう。

開き直った感じに達するまで、時間がかかる時もあるかも知れません。高いところから身を投げるような恐れにかられるかも知れません。

怖い身投げでも、試みる価値、あります。ぜひ、挑戦してみてください。

もう一つ、老婆心からお伝えしておくと、戦いを放棄するというのは、行動レベルで、「誘惑に屈する」、たとえば不安から過食に走ってしまうとか、ショッピング中毒にまかせて、欲しいものを買い漁るとか、そういうこととは関係ないです。

行動に走ると、どうしても、エゴの「欠如を埋める」連鎖から出れなくなります。つまり時間の中に入っちゃうわけですが、そこには癒しの力、ありません。

癒しの力はいつも、止まって、じっとしている時に働きます。

だから、そういうときは、行動をストップして、まずはじっとして、今この瞬間感じられる、誘惑そのもの、つまりその行動に引っ張る心の動きをじっと感じるってことから始めてください。そうすると、そこに、この手の誘惑的な、あるいは中毒的な行動へと私たちを駆り立てる不安が炙り出されてきます。その不安をごまかすために、そういった行動に走るのがやめられなってるわけですよね。その不安をじっと感じていると、その不安そのものの中に、この文章で扱ってるような「戦い」があるのがだんだん見えてきます。

そこでみつかる一番怖いものの中に、身投げするわけです。それがこの文章で扱ってる「降参」に当たるわけです。ここで降参せず、防戦を続けるために、誘惑的な、中毒的な行動へと走っていたこともだんだんわかってきます。

でも、くれぐれも無理をしないでください。「地獄」が急に噴出して、心身の調子を狂わせることもあります。

ちょっと危ないかも知れない、って少しでも思ったら、しばらく休んでみるのもいいかもしれません。

赤ちゃんのようなゆっくりした歩みで、気長に取り組まれるといいと思います。

止まって、じっとして、そこにある不安を感じる間合いも、様子を見ながら、たとえば、最初は10秒、20秒、30秒と少しずつ引き伸ばしながら、少しずつ、少しずつ、引き伸ばしていかれるといいと思います。

その間、行動レベルで起こること(たとえば結局誘惑に負けて、また「食べて」しまったなど)は、気にしないでください。

あるいは、ちょっとやり過ぎちゃって「地獄」が噴出して、それが周りに投影されたり、体調不調で現れることがあっても、気にしないでください

進歩は、そんなことよりも、立ち止まって、不安をありのままに見る間に培われていくからです。

これについては、また機をあらためて、書きますね。

最後に、今後のリアル会の予定など、シェアさせてください。

京都リアルの会の日程・場所

日程:11/28 (金), 11/29(土)、10時~17時  実相の中で思い切り安らう

参加費:両日とも、それぞれ4000円

場所:両日とも、〒600-8207 京都府京都市下京区上之町38番地 下京いきいき市民活動センター 京都駅から徒歩5分くらいのところです。

参加に興味持ってくださる方は、*を@マークに変えて、鯨波幸絵さんにメール(yukiekujiranami*hotmail.com)してください。

姫路リアルの会 日程・会場

◆11月30日(日)午前の部 9:00~12:30  美を見る目

会場:姫路美術館 

〒670-0012 兵庫県姫路市本町68-25 電話:079-222-2288

姫路駅から「城周辺観光ループバス」で6分、美術館前下車 

参加費:1000円

◆11月30日(日)午後の部 13:30~16:30 癒しを見る目

会場:カフェ&レンタルスペース カリカリちゃん 

〒670-0965 兵庫県姫路市東延末1丁目69  姫路駅より徒歩5分

参加費:3000円

◆12月1日(月)午前の部 9:00~12:00 美と癒しを見る目を普段の生活に落とし込む 

会場:イーグレ姫路 

〒670-0012 姫路市本町68番290 電話:079-289-3443 姫路駅より徒歩13分

参加費:3000円

参加ご興味ある方は 大塚千珠さんまでメールください。アドレスは、 asahioka*hotmail.com (*を@に変えてください)です。

東京リアルの会

次回は、4月18日(土)、9日(日)、浜離宮恩賜庭園の芳梅亭にて、予定しています。

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