2023年9月に始まって今も続いているヘレンのノート版ACIM読書会の内容のあらましで、会の前後にみなさんにメールした予告編や、学習内容を定着するワークを、ご紹介しています。
会そのもののビデオは、今も、1本1000円、5本以上そろっての購入だと1本500円でシェアしています。
もしビデオを観られることにもご興味ある方がいらしたら、堀田真紀子(mhorita*gmail.com *に@を入れてください)まで、ご連絡ください。
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使用したテキスト****
今回は、12章の書き取りが進んでいた時に、
ビルがヘレンを通して受け取った個人的なメッセージの一つを扱います。
ワプニックさんの『天国を離れて』邦訳361ページにもありますが、
紫の本の巻末のカメオエッセイ22 ビル、意志を取り戻すでも、扱われています。このエッセイの私の試訳は、ここをクリックするとでてきます。
あとは、意志をテーマにして書かれているテキスト8章、主に扱わせていただけたらと思ってます。
*
ビルは、自分の意志から行ったことで、何かとても後悔していることがあるらしく、
それ以来、自分が意志を持つことそのものをずっと放棄してきそうです。
でも、コースは私たちが大いに意志力を使うようにトレーニングしていきます。
ビルもそれに説得され、賛同してるのですが、
そのせいで、これまでやってきた意志放棄の状態が続けられなくなって、
混乱して、ひどい鬱状態に陥ってしまいました。
そうしたビルの状態をイエスが分析して、アドヴァイスを送っているメッセージが、
やはりテキスト12章あたりを筆記しているときに、ヘレンを通して受け取られました。
カメオエッセイ22は、これについて解説してくれています。
これも、個人的な話のようで、よくある話って気がします!
まず、エゴに従って意志を使うと後悔するような結果になるというのは、ビルに限らず、誰もが体験することですよね。
また、熱心なコース学習者ほど、エゴの取り消しを徹底させようとして、
「私の意志ではなく、神の意志を」と念じながら、
自分の意志を全く放棄してしまい、
受け身の、植物的な状態になることって、多い気がします。
また、コースでは、今、この瞬間のありのままの状態に抵抗しないようにと、勧められますよね。
たとえば、「間違った知覚とは、ものごとの状態が今あるままではないようにと願う願望である」(テキスト9章2段落目冒頭)と語られたりします。
変えるべきなのは、世界を見る私たちの視点であって、世界の状態ではないことをはっきりさせるために、
私自身、ワーク中に、すべてがありのままであることをゆるすように、勧めたりしてます。サレンダーですね。
それってまさに、エゴの意志の使い方と真逆。
私たちはエゴの意志の使い方しか、ほとんど知らないために、
つまり、意志って放棄すべきものなの? って思いがちです。
でも、実は、このメッセージの中でイエスもほのめかしているように、
このコースをマスターするには、逆に大変な意志力がいるんです。
たとえば、絶えず、正しい心の状態をキープして、
聖霊視点でい続けることって、すごい意志力いりますよね。
よくリアルの会の後などに、会の最中は、よかったけれど、戻るとリバウンドしてしまうとシェアされることがあるのですが、
これも、意志力次第。意志の問題ですよね!
では、どんな意志は、エゴの意志として手放すべきで、
どんな意志は、無限に高めて、目覚めのために総動員すべきなのか?
このあたりをはっきりさせるのって、本当に大切。
そこができないと、「風呂の湯と一緒に赤子を外へ流す」
エラーを犯して、意志力そのものを麻痺させることになってしまいます!
でも、「コースはこれまで意志にとても重点を置いてきた」って、今回扱うメッセージでもイエスが語ってるけれど、
そうだったっけ? 一体、どこでそうしていたかな? ってまた読み返したくなってしまいますよね。
これは12章を書き取ってる途中にきたメッセージなので、12章以前じゃなきゃいけない・・・
そんなふうに考えながら、テキストをペラペラ見ていくと、まず目に留まるのは、テキスト8章。
特に紫の本で8章を読むと、これ、すべて、意志の話をしているように見えてきます。
テキスト8章って、青の本も紫の本も、文面はほぼ同じなのですが、
章全体のタイトルや、各節のタイトルが、紫の本は、かなり違うんですね。
まずは、8章全体のタイトル、
青の本では「帰還の旅 」ですが、
紫の本では、「癒そうという分割されない意志」 The undivided Will to Heal です。
各節のタイトルも、「意志の自由」(青の本の4節「自由という贈り物」のあたり)とか、
「目覚めようとする意志としての癒し」(青い本の9節「訂正された知覚としての癒し」)というふうに、
「意志」が、この章全体のテーマであることをはっきり強調しながら、編集されているんですね。
というわけで、今回の読書会のテーマは、
手放すべきエゴの意志と、
目覚めのために無限に高める必要のある意志は、どう違うのか?
そのあたりにできればと思っています。
*
エゴの意志は、本当の愛、幸福の源泉に戻るのが怖くて、それに抗うための防衛のストーリー、本当の愛や幸福の代替物をこの世界の中に実現して、それをつかむために行使されるものです。
人生の映画の主人公の大冒険の中で、大いに発揮されますよね。
失敗したり敵に打ち負かされる自体を想定しながら、そうした想定からくるおそれと戦う。あるいはおそれが投影された他の人やもの、状況と戦うために発揮されます。共同作業の中で発揮されるというより、孤立した戦いのために発揮される。他の人は協力相手というよりライバル、競い合う相手と見る方が多いですよね。
では、コースが求める、癒されるための意志の方はどうでしょう? これを一言で言えば、神の意志と一つになって働く意志だって言えると思うのですが、いろんな形で発揮される気がします。
ワンステップごとに、みていけたら、って思っています。
癒しの場では、「おそれをごまかさずに、正面から見すえる勇気」として、まずは、発揮される気がします。
前回のテーマ、人や状況のせいにしないで、憎いんだったら憎いんだって、正直に認める。やっぱり怖いからですよね。攻撃される前に攻撃しなきゃって身構えているからですよね。
今この瞬間、自分がどんなにおそれているか。それを横のストーリーに逃げることで、人や状況のせいにしたり、もっともらしい批判を繰り広げたり、「善意からなる」自己流の解決策に奔走してごまかしたり、いくらでもできます。
でもその誘惑に乗らず、恐れを真っ向から直視して、
「私はこんなに怖がってるぞ~」って、感情を解放しながら、現ナマの分離の恐れの真っ只中にいる。
それはとっても勇気がいるし、そこにい続けるのも意志力いりますよね。
でも、そこから一歩も動かないでいると、癒しの力と合流できます。一番きついところのその奥から、命と喜びが噴き出してくる。指圧の名人の「痛気持ちいい」指圧の直撃に似た感触です。
直撃のように、その底から、爽快感が感じられてきます。その感じになれると、前回のビデオでも申し上げたように、一番怖いところにいるのが、一種のエンターティメントのように感じられてきます。好んでジェットコースターに乗ったり、バンジージャンプにふける人のようになるんですね。
癒しの力が内側から湧いてくるのに気づいた後は、また別の形で意志が必要になる気がします。
その源泉を全開なままに保つために、私たち、何もせず、ただ、じっとしていなきゃいけない。そのために意志がいります。矛盾して聞こえますが、じっと静かにしているための意志のような形をとります。これが2つ目の意志です。
テキストでは「神の宝」がこのテーマを扱っていますが、父なる神に愛されるには、「いい子」である必要はないし、これまで「悪い子」だったからといって、「いい子」にしてそれをあがなう必要もない。なぜなら、神が愛しているのは私たちの「行為」ではなくて、ありのままの私たちの「存在」そのものなのだから。
ありのまんまの私たちが神の宝である以上、私たちとしてやるべきなのは、ただこのままで神の懐にとびこんで、休んでいるだけでいい。
そのことを本当に腑に落とすのは、エゴの取引の発想(「苦労してなんぼ」)になれた私たちには、並大抵のことではありません。
たとえば、神や聖霊、イエスと繋がって、愛の中、実相の中にいるには、何かしなきゃいけない。そうすることで、自分は特別であることを証明して、自分は愛に値することを示さなきゃいけないというエゴのロジックに入ると、空回りし始め、逆に癒しの源泉を見失ってしまいます。
もし準備してくださる余裕があったら、これについて自問自答してみてください。救われるためには、こうしなければならないと思って、この形ある世界の中でやっていることって、ないでしょうか?
たとえばコースを全読破して、理解しなきゃいけないとか、何か特別なことをしなきゃいけないとか。
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これまでみてきたことをまとめましょう。
恐れの只中に飛び込む意志、
そうすることで、癒されて、癒しの力と合流して、それを全開に受け入れながら、じっとするための意志。
こうした意志をうまく発揮できて、どんどん癒されていくと、今度は、
自分が全ての人やものと繋がっていて、自分に限界がないのが、わかってきます。
これも、エゴの発想に慣れた私たちには居心地悪く感じられて、どんどん拡大していく自分の意識にストップをかけて、身体単位の小さな私、これまで散々演じてきた、お決まりの分離パターンのストーリー中の私のコンフォートゾーンに戻りたくなる誘惑が出てきます。
そんなところ、自分にないでしょうか? これも自問自答してみてください。
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自分に制限を設けたくなる誘惑には、そんなふうに自覚できるものの他に、「これも制限をかけることだったの?」と意外に思うような、微妙な形をとることがあります。
この世界にある特定の人やものや状況を過大評価して、特別視して神の代わりにしてしまうとか、
道具に過ぎないものを目的そのものにするとか、
学習教材に過ぎないものを、教師に仕立ててしまう
とテキスト中で呼ばれているものです。
この世界に中に見える形あるものの中から、何か一つ選んで、ここに自分の幸せがかかってるって思ってしまうんですね。そうすると、本当の幸せの源泉が見えなくなります。
この辺り、難解なところですが、例を使うとわかりやすいと思います。
ランプシェードつきのランプがあるのを想像してみてください。寝室などにある傘付きの明かりです。その傘、ランプシェードには、たくさん絵が描いてあります。
その絵、間近でよく見ると、どうやら自分の人生の物語なんですね。そこでは人生の物語が、展開中なわけです。
その物語中には、「これさえうまくいけば、幸せになれる」「この人と結ばれれば、幸せになれる」といったものが、見えます。そのために主人公も頑張ってる。
でも、この主人公、あるときハッと思い出して、本当の幸せは内側のスイッチを押すことだったって気づきます。そうすると、愛や幸福の源泉である神とつながって、ランプシェード上に描かれた、全てが輝き出し、まわりに、光を放射し始めます。
ランプシェード上に描かれた物語の状況をコントロールして、何とかハッピーエンドになるように頑張っている限り、つまり自己流救済計画にかまけている限り、スイッチをつけようという発想は、湧きませんよね。
一旦スイッチがつくと、ランプシェード上に描かれた、人生のすべてのものは、たった一つの統一した目的のために使われ始めます。それは、自分を透明に透かすことで、内側のたった一つの光を輝かせる媒体、道具になるという目的です。
全てが、自分を通して内側の光、愛、平安・・・を輝かせる道具としての役割に徹しているからこそ、それができるんですよね。この中に何か一つでも、「私が光源だ」「私が目的だ」と言い張っていたり、他の人に信じられているものがあると、このプロジェクト、頓挫してしまいますよね。レベルの混同が起こってるからです。
この話もまた、一つの不完全な比喩にすぎませんが、ここで光を灯す作業が、ランプシェードに描かれた、神の子すべて、サンシップ全体の共同作業であることや、
内側から輝く光はいつも大きく拡大・延長していくこと、
また光が灯ると、それにつられるように、ランプシェード上に映し出されるストーリーも好転することが多いことも補足すると、奇跡の瞬間に起こることを、結構、言い当ててる気がします。
私たちはすでに奇跡の瞬間、何度も体験したことがありますよね。
あとは、スイッチを押すことだけが重要。それだけでいいんだということを本当に腑に落とすことで、
いつの間にか、全てを包みながら、どこまでも広がっていく自分の拡大に制限をかけてるってことにならないようにできたらと思います。
こうした特別性による癒しにかける制限、
一番大きいのは自分の身体を特別視することによると思うのですが、
今の自分もやっていないかどうか、
読書会の前に自問自答してみられるといいと思います。
おすすめワーク***
ACIMは楽譜のようなもの。 それぞれの学習者がそれを生きることで、 そこからそれぞれの音楽のパーツを演奏することで、意味を持ってくるって思ってます。
そのためにも、皆さん一人ひとりが、ここで学ばれたことを、自分の生活の中で、どう活かし、生きていくかを自問自答しながら、学習を進めていかれると、これほどうれしいことはありません。
ビデオを見ながら、 そこで語られていることの中に、 今の自分の学びのプロセスで、活かせそうなことがあったら、 ぜひ、試してみてください。
以下のおすすめワークは、その例に過ぎません。
全てやらなきゃいけないというわけではありません。
それはあなたの中の「教師」と相談しながら、インスピレーションを感じられたら、試してみられると、幸いです。
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1、何かに頑張っている時、「今、私が使っているのはエゴの意志だろうか? 癒されるための意志だろうか?」と自問自答してみてください。
これはエゴの意志で、欠如感や無価値観を何かで埋めるために頑張ってるに過ぎないな・・・と思ったら、
一旦立ち止まり、そこにある欠如感や無価値観そのものを感じて、癒してあげてください。
2、ビデオの中でお話しさせていただいた、「癒されるために意志を使う」ことにフォーカスをおきながら、
日々のゆるしやガイダンスに従う実践をやってみましょう。
恐れの只中に入っていくために意志を使い、
そこで感じられてくる癒しの力を「代償抜き」「タダ」で受け入れるために意志を使い、
そこで感じられてくる愛や力、やすらぎが広がり、
風船がどんどん膨らむように、自己感がどんどん広がるにまかせて、
分離感から、自分がこれまでかけてきた制限を再び自分に課して、
慣れ親しんできたコンフォートゾーンに戻りたい誘惑に屈して再び縮まないために意志を使い・・・・
ってことですね。
3、今の身体感覚、体調について、身体に答えを求めない
身体は中立的なもので、自分の意見をもたず、その時その時の「教師」のいう答えを鸚鵡返しにするだけです。
デフォルト状態では、エゴが教師としてついていることが多くて、私たちの不平不満、無力感、無価値観などの証明になるようなこと言う可能性大です。
毎日こんなに暑いと、ますます、そうなりますね。
そんな身体の声が聞こえてきたら、聖霊視点で、訂正するということ、やってみましょう。
ビデオでもお話ししているように、ありのままであることを、ゆるし、受け入れることで、逆に訂正されるパラドックスの中でやると、確実です。
