非二元のエッセンス

瞑想は、努力をゆるめる「楽しい努力」

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joyous effort

このブログや瞑想会で、シェアさせていただいている瞑想法を実践していただいて、たまに、わからない、うまくいかないという感想いただくことがあります。

理由いくつか考えられますが、一番多いのに、頑張りすぎというのがあるかもしれません。

でも、「ワーク」と呼ぶ以上、これまでして来なかったことを、「する」ことだし、そのためには努力もいるだろうと思われるかもしれませんよね。

実はそうではないんですね。もし、努力ということばを使うとすれば、
努力を解く努力なんです。

よく言われる比喩でいうと、あまりに長い間、拳をぎゅっと握りしめてきたせいで、その手をほどいて、楽にすることが、逆に難しくなってる。まず、拳を、ほどこうとすると、痛い。そこをあえてほどき、ゆるめる努力をする、そのためのワークなんです。

空のように広がる本当のあなたをこれまで、あえて縮めて、身体と同一視して、身体を守るように、ギュッと握り締めながら、生きてきたわけですよね。

そのためには、かなり「努力」が必要だったのですが、それが常態になってしまっているので、努力していることさえ気づかない。
それを、ゆるめ、解いて、努力のいらない空になれるまで、ある種の努力?がいるってだけなんです。

でもこの種の努力って、努力すればするほど楽になり、喜びが増していきます。それが正しい道を歩んでるバロメーターになりますね。

カナダで、チベット仏教の実践をされているお友達に、「精進」と言う言葉を、英語では「joyous effort 楽しい努力」と訳すって、聞きました! まさに「楽しい努力」ですよね! このどんどん楽になる感じを大切にしながらやっていくと、道に迷うことはありません。

前回のブログのお話とつげると、これも、落ちることで、支えられるアーチの原理の一種ですね。

身体感覚を解いて、コントロールを放棄した、おまかせ状態になる。まさにそのことで、生き生きしたり、膨張していくわけです。

たとえば、手のひらや足の中心が振動しているのを感じながら、その振動が身体を伝って、全身に広がるのを確かめながら、サトルボディを感じるワーク、シェアさせていただきました(詳しくはこの記事の「振動する身体」の節を見てください)。

これがもし感じにくかったら、たとえば横になって楽にしながら、ゆっくり、少しずつ、身体全体をリラックスさせてみてください。身体を重力にまかせて、死んだようにぐったりなるように力をぬいていくわけです。でも、うまくいくと、そうやって力を抜くほど、微かにですが、身体が逆に生き生きとしてくるのに気づくわけです!

「力を抜けば抜くほど、逆に生き生きしてくるな」と言う感じがつかめたら、それを頼りに、それが強まるように、身体全体をふんわり、リラックスさせれば、うまくいきます!

また、結果を気にしすぎてもうまくいきません。

何かを「する」結果の成果として、
ちゃんと捉えられる「もの」のように、要するに対象、客体として、体験が見出されるというものではないからです。

逆に何かを「する」ことを、解きほぐし、ゆるめ、溶かしていくうちに、
すとんと、振動ばかりでできた、普段とは別の領域に落ち込むような感じで、
努力なしに、自然に感じられてくるものです。

もしかすると、まずは、起きている時にやるよりも、眠りに落ちる寸前とか、朝の起きがけ、
夢と目覚めの境界で、うつらうつらしているときに、試してみられるといいかもしれません。

卒業の時期も逃さない

あともう一つ、ワークの目標である感覚がつかめて、いつでもどこでも自然にその状態に入れるようになったら、「そろそろ卒業だな」と思って、やめるのも重要だって思ってます。

私自身はジュディスさんの身体に棲みつくワーク、2〜3ヶ月やったかな? 

最初はとにかく眠かったです。寝る前にやると、途中で必ず寝てました(笑)。同じような感想、いろいろな方から、言われましたが、実際それは、うまい具合に、これまでやってきた変な努力(先程の拳を握りしめる努力のような)が解除されてきている兆なんだと思います。

眠さはそのうち、引いていきます。しばらくすると、その時の身体の感じが、自然な常態になってきます(私の場合、その頃から、血圧がぐっと下がってきました。それまでどちらかというと、高めで、130−80くらいだったのですが、今は80−30くらいです。といっても低血圧の症状は全然なくて、寝起きも意識がクリアです)。

そのあたりから、「さあワークをやろう」と、わざわざ「棲みつく」と思うのが逆に、めんどくさくなってきました。そういう方もいらっしゃると思います。そんな方は多分もう、卒業されているんですね。やめられて結構だと思います。

ただ、頭でっかちだったり、厭世的な傾向があったら、身体の下の方に棲みついたり、そこから世界を感じたりする練習を繰り返されると、バランスがとれるようになり、きっと役に立つと思います。

私自身もそうだったのですが、身体の下の方に棲みつけるようになるにつれ、人生のディーティールが、深く味わえるようなり、生きてるのがとても楽しくなってきました。

寝る前に、下の方から、身体に棲みつくワークをやると、どうしても、下の方が終わったあたりで眠りに落ちていたので、結果的に下ばかり練習できて、それがバランスを矯正するのに、良かったのですね(笑)。

簡略バージョンで十分

瞑想会や、そのビデオでは、チャクラを感覚器官として使ったり、身体に棲みつく瞑想、瞑想会やそのビデオでは、かなり丁寧にやってます。効果を感じられるためには、習慣に落とし込む必要、確かに在ると思います。ただ、インスピレーション、感触、状況にあわせて、自分に合った簡略バージョンを作ってやっていただければって思ってます。

瞑想会当日やそのビデオの中で、身体の各部にフォーカスしながら、
空間の知覚の変化を「感じてください」と、
丁寧すぎるくらいに聞いていったのは、

実際に結果を出して、違う知覚を体験すること自体に意味があるというよりも、
そんなふうに感覚をとぎすましながら、「探る」こと自体に、いろんな効用があると思ったからです。

だから実際に、ほとんど何も感じられなくても、気にしないでください。実際、本当に微かな変化なので!

それでも、その微かさに聞き耳をたてて、それまで感じられなかったディーティールを、少しずつ少しずつ感じようとする、その態度そのものが、
次のステップに移行させてくれる推進力になります。

未知の領域を、手探りでかき分け進む、冒険の始まりになるんです。

瞑想中、何度も、目を開けて、空間として私を感じることに伴う、身体感覚や空間知覚の変化が、ものの見方に現れる変化を確認してもらったのも、
その時に感じられる力を、日常生活の中に応用する間口を開きたかったからです。

人によってこの応用は、敏感体質を癒すことだったり、
アーティスティックな観察力や感受性を拡大させることだったりとさまざまになると思いますが、
何より、生きるのが楽しくなる!というのが、私が一番感じてる効用です!

たとえば、
体験を深めたり、移行を安定させてくれて、瞑想のときの体験を日常体験に落とし込んでいくのに役立つと言う意味で、

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