奇跡のコース

3つの身体の間を自在に行き来できると、心はクリアになり、身体は整う

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くるっと内側を向く癖

私が、いつまでたってもコース学習者だって思うのは、
外に問題を認めるや否や、次の瞬間にはくるっと内側を向く癖がついてしまっていることです。

たとえば、日曜のオンラインの会の話を、さっきからまとめようとしているのですが、
何度も何度も書き直すのがやめられません。前回のオンラインの会が終わった後のビデオも、ついつい何度も撮り直してましたね。

これが「外にある問題」だって思ったら、とにかく、欠陥がどうしても見つかるので、それが全く見えなくなり、完璧になるまでやり直す必要があります。

でも、そう思った瞬間、くるっと、逆に向き直り、内側を向いて、私自身の方が、どこをみても、欠陥が見えるメガネをかけてないか、チェックすることもできます。

すると、あるある(笑)。「何かが欠けてる」「不十分だ」という欠如の信念がうごめいています。それが、何でもいいので投影対象を見つけては、「ここがダメじゃない!」といちゃもんをつけて、やり直しをせまってるだけ。

そこまでわかったら、この信念の奥にある感情、体感、苦虫をすり潰したような不快感を、直接つかんで、それを味わうのに集中します。するとだんだん、この不快感が、爽快感に変わっていきます。

もう何かのせいや、誰かのせいにしてごまかしていないし、臭いものに蓋をして回避しようともしていない、そのことを考えただけでも爽快ですものね。

そうやって、ごまかさずに、一番痛いところを直視すると、自然に癒しのスイッチが入ることも、多いようです。で、いつのまにか気が晴れて、もう一度ノートやビデオを見直すと、「なんだあ、そんなにわるくないわ」と、ケラケラ笑ってる自分に気づくと言うわけです。

何かが欠けてる、不十分だという欠如の信念を、私たちはいろんなものに投影して、自分を含めいろんな人や状況を責めたり、忙しく何度もやり直したりできますよね。

でも、そこからくるっとうちに向き直り、そんな世界を私に見せている欠如の信念そのものを、捕まえることもできます。これだけは見たくない、感じたくないと、無意識のうちに逃げ回り、いろんなものに投影することでごまかしてきたものを直視するわけです。だから当然、勇気がいるし、はじめはきついです。でもそれが、癒しのはじまり。

別のブログの中で、私はその様子を、お姫様が、ヒキガエルの気持ち悪さに耐えて、いつも一緒にいて、寝る時は一緒に寝ることもできるようになったその瞬間、ヒキガエルが王子様に変身するメルヘンにたとえたことがあります。

くるんと内側を向くと、いたるところ、このヒキガエルが見えます(笑)。たとえば、何かショックなことがある時。この人のこれだけは、あれだけは、許せないと思う時。

純粋に外の問題として扱うなら、この人と付き合うのはもうやめよう、こんな状況に陥らないように、これから気をつけようとするだけかもしれません。あるいは、問題の決着をつけるために、第三者、公的な機関や専門家の助けを借りたりするかもしれません。

実際にそれが必要なこともありますが、とりあえず、まず、くるりと内側を向くと、どうなるでしょう?

自分自身が周りの人やものが「こうでなければならない」といった期待を抱いていて、
そこからの誤差がゆるせない。

そう思って動揺していること、あるかもしれません。

どんな期待を抱いていたのか、はっきりさせるには、「では、どうなれば、私、ハッピーになれるのかしら?」と自問自答するのも、一つのやり方です。

「私をもっと大切に、重要人物として扱って欲しい(笑)!」などなど、あまりに非現実的で高い期待を周りに抱いてるのに気づいて、笑ってしまうかもしれません。

そこまでわかったところで、心をクリアにしたい場合は、まず、自分がどんな期待を暗黙のうちに抱いているか、何がそんな期待を抱くように、自分を仕向けているか・・・といった具合に、心を見つめる必要、ありますよね。

で、「何がそんな期待を抱くように、自分を仕向けているか・・・」というところまで感じられてきたら・・・・心にぽっかり広がる穴が見えてきます。言葉にすると、何かが足らない、欠けているという欠落感、そこからくるいたたまれない気持ち、苛立ちや焦り、こんなに弱い、傷つきやすい状態でいることに対するおそれ・・・そんな不定形の生の感覚の塊みたいなものが、感じられてきます。先ほどの欠如の信念、ヒキガエルです。

これだけは、絶対見たくないとこれまで蓋をして、少しでもうごめくたびに、すぐに蓋をして、お天気のせいや、周りの人のつれなさや、だらしのなさなどのせいにしてきたものです!

今回は、これをしっかり捕まえて直視しようとすると、ヒキガエルが王子様に変身する癒しのプロセスがはじまります。

プログラミングの書き換え

問題が見えた時点で、それを解決しようとする前に、
問題が見える、自分のかけているメガネ、物の見方を検討するために、くるっと内側に向き直る〜
それが、なぜそんなに大切なのか。いろんな説明の仕方ができると思います。たとえば、最近私が読んでいたブルース・リプトンさんという生物学者の本では、プログラミングという言葉で説明していました。

小さな子供は、外国語が話されている環境に入ると、すぐにペラペラになってしまいますよね。学んでいる意識もないのに、スポンジみたいに吸収してしまいます。というのも、6歳までの子供は催眠術をかけられた時と同じ意識状態にあり、まわりのあらゆる情報を高速度で吸収しているのだそう。それで、たとえばパソコンでいうと、OSにあたるような、私たちの人生の基本的なプログラムもその時期に潜在意識にダウンロードされます。で、どこをみてもそのメガネを通してみるようになります。

問題が見えている時は、ここでプログラムされたことが問題を見せている可能性があるというわけです。その場合は、外に見える問題を一つ一つ解決しようとしても、次から次へと似たようなパターンの問題が見えることになります。

根本的な解決は、このプログラムをし直すことなのですが、潜在意識のキャパの大きさ、情報処理能力の速さを考える時、ちょっとやそっとアフォーメーションしたくらいでは書き換えられません。

ただ、一つ福音になるのは、問題を起こすプログラミング、あるいは信念には、一つ共通点があること。その前提に欠如の信念があることです。

では、ワンネスの体験の中で、欠如の信念というこの共通の大前提さえ、根本から癒されれば、一挙に、消えるんです! 

つまり、コースの言葉を使えば、存在するのは愛だけ〜 そんな視点にたてれば、分離と欠如を前提にして成り立つ、問題を起こすすべてのプログラミングは全て、最初から存在しなかった(つまり幻想だった)ことが見抜かれるというわけです。

そう考えると、コース学習者として私がつけた、問題を認めるたびに
くるっと内側に向き直り(プログラミングをみてみよう)
その奥にある欠如の信念を、ごまかさずに、まず直視して、グッと感じながら癒やそうとしてたのは、正しかったわけですね。

あとはそれを、ワンネスに浸せばいいだけです。全てのものとつながる大きな私の充足感、ゆたかさで、欠如の信念を吹っ飛ばしてしまえばいいわけです!

ただ、このプロセスがうまくいくためには、ゆだねる相手が、いつでもどこでも、即座に実感できるようになる必要あります。

この会でやるのは、身体を入り口にして、身体を超えるというかたちで、それを比較的誰にでも、実感できるようになる方法です。

サレンダーという方法

では、どうやってこのワンネスに浸るかですが、今回はは、サレンダーという方法についてお話しする予定です。

サレンダーは、明け渡しとか、降参と訳されますが、空っぽになって、自分を投げ出すことで、自分とは違う次元にある力を受け入れることです。

そんなことを言うと、不安になる方も多いと思うのですが、明け渡す相手は、本当の私です。ルパートさんの、幸せに暮らす名優ジョン・スミスが、ある日、リア王を熱演しすぎて、リア王の悲劇の世界から抜け出れなくなったお話し、もう何度もしましたよね。私たちが小さなエゴを信じて、一喜一憂するさまは、リア王の役から抜けれなくなったジョン・スミスみたいなものだという話です。

このたとえを借りれば、リア王であると信じ切っているジョンスミスが、本当の自分に自分を明け渡すわけです。同一人物が同一人物に明け渡しているだけなのです。

それでも、この明け渡しは徹底したものである必要があります。リア王の世界から抜け出て、自分はジョンスミスだと思い出すために、彼はリア王の世界全てを、置いていかなければなりません。夢から覚めるには、夢の中の内容、何も持って行けないのと同じです。だから、次のコースの言葉にあるように、徹底して空っぽになる必要があります。

私は私であるものを、知らない。だから、私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいは、この世界や自分自身をどう見ればいいのかも、知らない。(テキスト31章5節)

落ちることで支える

私は何も知らない、何にも分かっていないと思えば思うほど、逆に安心感に満たされたり、喜びを感じるようになったら、サレンダーによるアイデンティティの引っ越しが進み始めた兆候です。

身体の感覚で、サレンダーの力を感じることできます。

力を抜けば抜くほど、逆に力が出るっていいますよね。あれです。

今試してみることもできます。リラックスして、全身から力を抜いて、重力にまかせて、だらんとさせてください。足がどこまでもどこまでも落ちていく感じです。ただそうすればそうするほど、逆に安定感や、支えられているって感覚、しませんか? 慣れると、床を突き上げるような上昇力を感じることもあります。

アーチに似てます。アーチって落ちる力で支えられて、弧を描きますよね。空に向けて綺麗なカーブを描けるのは全ての石が、抵抗せずに、重力に任せて落ちているからです。

サレンダーの中で感じられる力のいい喩えになると思います!

脱力すればするほど感じられる力。自分には、何にも分かっていないと思えば思うほど、感じられる安心感。

セルフイメージを空っぽにする

サレンダーのまた別のバージョンとして、自分は誰でもない、何者でもない・・・と思えば思うほど感じられる力の感覚もあります。

リア王は、イングランドの王であることに、プライドを持っているかもしれません。でも、幸せなジョン・スミスであることを思い出すためには、そのセルフイメージを捨てる必要があります。

セルフイメージを空っぽにしておくことは、心をクリアにするいい素地になります。セルフイメージがいっぱいあって、プライドも高くて、自分にふさわしいこと、ふさわしくないことなどのリストをたくさん持っていれば持っているほど、先ほどの「期待」が外れ、幻滅して、心が動揺する頻度も高くなります。

ワンネスといつも合流するためのいい跳躍台になります。

自分を他の人と違う、他の人から抜きん出た、特別な人にしようと、セルフイメージの改善のために努力すること(スピリチュアルでありたいとか、悟りたいと思うことも含めて)も、欠如の信念に基づいた、根深いプログラミングの一つです。

特別になりたいという思いの奥をのぞいてみると、自信のなさ、欠如感が見つかります。それをごまかすための一つの方法なのですね。

自分を特別にして、他の人からの分離を強めたいという思いを、

他の全ての人とつながり、他の全ての人と全く同じだってことを確かめるために、たった一つの存在の中に溶け込みたい・・・・そんな衝動にどれだけ置き換えることができるか。

そこに本当のスピリチュアルな達成があると思ってます。

実際、ワンネスを感じ始めると、特別になりたい衝動はみるみる消えていきます。そしてわかるのは、特別になりたい衝動は、実はワンネスへの衝動のまがい物の代用品にすぎなかったということです。本物が手に入ると、その満足で、消えていきます。

この本当のあなた、ジョン・スミス、ワンネスへのサレンダーがすすんで、

だんだんそれが私だって思えるようになるにつれ、満たされて、

私には何にも欠けたところ、足りないところはなかった。

欠けたところをごまかすために、肥大したセルフイメージを抱いたり、それを目指したり、

かけたところをおぎなうために、他者からの愛の確証を求めたり、

それが満たされない幻滅や渇望感を味わう必要も全然なかったんだと、腑に落ちていきます。

と同時に潜在意識に染み込んだ根深いプログラミング、信念の数々もゆるんで、外れていきます。

コースでゆるしと呼ばれるプロセスです。

今回の会(詳細はここ)で、皆さんにシェアしたいと思っているのは、
自分は、三つの形で体験されること。
そして、必要に応じて、その3つのうちのどの自分でいるかを、使い分ける方法です。

1、物理的な身体
2、エネルギー体としての身体
3、全てを包み込む、純粋な気づきの空間、スピリットとしての私(以後、短く「空間としての私」と呼ばせてください)

私たちが本当の私と安心して同一化できるのは、3の空間としての私だけです。空間ってその中で何が起ころうと、影響をうけませんよね。たとえばここで、何が飛び交おうと殺し合いや戦争があろうと、空間は無傷で、前のままです。そういう意味で安全。起こる事柄から影響を受けることがない。

ただ、単なる物理的空間と違って、気づく働き、感じやすさでできた空間です。だからこの私でいる時は、感じやすい感受性は最高に高まるのですが、傷つけられることもまったくなくなる。それが3の空間としての私です。

では、1、2はどうか。1や2が悪いと言っているのでは全然ありません。1や2の身体でいるのが必要な時もありますし、使い分ければいいだけ。

悪いのは、1や2の身体=本当の私と思うことだけです。本当の私は3だけ。1や2は、必要に応じて乗る乗り物、使う道具だと思っている限り、大丈夫。少なくとも心をクリアにするための支障になることはありません。 

1や2の私には、罪悪感、条件付け、トラウマからくるプログラミングなどがぎっしり詰まってます。
でも、そこから、3の私になれると、クリアで空っぽになれます。

1の物理的身体を自分だとどれだけ思っているか、どれだけこの身体と自分を同一化しているかは、ぎゅっと握りしめるような身体感覚でかなり正確にわかります。実験してみましょうか? 

あるいは心配な人について思い浮かべてみてください。とても大切な人、この人が危険な状態にある心配だ・・・キュッと縮めてますよね。心配な時その人を身体としてみてます。そのとき、私も身体として自動的に見てしまうからです。

次に、大丈夫だ、何とかなる。ふわっとゆるんでリラックスしてきますよね。2や3にアイデンティティが移動した印。特に、守られてる・・・ますますふわふわ。身体との同一化がゆるんで、2から、3を私だと思えるようになってきた印です。

ぎゅっと収縮した感じと、ふわっと膨張した感じ。どっちが、身体にいいと思います? 

3でいることは、2の身体を、2の身体は1の身体を整えます。つまり、エネルギー体をいつも意識していると、身体も生き生きしますし、空間として自分を感じていると、エネルギー体、整ってきます。

たとえば、コロナが怖いと思うと、身体収縮して、身体との同一化強まりますよね。実はそうすると免疫弱まるんですね。

収縮しているのに気づいたら、ふ〜っと息を吐いて、ゆるめてあげてください。


ただ、「怖くない、大丈夫」と思うことは、わざわざ危険なところに出かけていいよと言ってるのとは、違います!

身体と同一化せずに、緩んで膨張した状態にしておく。その気づきとしての私から、本当の私ではないけれど、私の大切な道具を大切に、愛情深く扱うために、必要だと思われる予防措置はとる。そういう生き方も、できますよね。

別に、恐怖に身を縮ませなくても、身体を守ることはできます。

もう一つ。1の物理的な肉体=自分と思ってる段階にいると、自分が暗黙のうちに抱いている期待、条件づけ、プログラミングなどは無意識のうちに作用してます。誰かのちょっとした振る舞いに、過剰に反応して、怒り狂ったり、絶望したりしても、それは、その人のせいだって思ってる段階です。

でも自分を見つめることができるにつれ、どんなプログラミングが自分を縛っているか、見抜けるようになりますね。

と同時に、何がそれを稼働させているか、その奥にある欠落感、心にぽっかり空いた穴も、だんだん自覚できるようになり、肌身に感じられるようになります。

そのあたりから、2のエネルギー体として、私を感じられるようになってきます。
そこにずっといるのはとてもきついです。

すぐに明け渡して、3に入れるといいですよね。

もう一つ、「心をクリアにしたい」と、切実に思われている方の、理由にいわゆるHSPやエンパス気質、人の感情と自分の感情がごっちゃになってしまい、境界線が保てないタイプの方もいらっしゃると思います。

1人でいるときはクリアになるけど、誰かと一緒になるだけで、すぐにまた重苦しくなる。そういう背景から、心をクリアにしたい!って思ってる人もいるかもしれません。

私にはそんな特殊なところはないと思われている方も、スピリチュアルな実践していると、だんだんそうなってくること多いので他人事ではないです。

そういう方は、2にいつもいる人です
2は、エネルギーの流れとしての私です。気功や太極拳や、エネルギーワークよりも、ずっと流動的でいつも、混ざり合ってる。でも、まだ、私として、他から区別されるまとまりが感じられて、それを私だって思いがちです。それがエネルギー体としての私と自己同一化した状態です。そこで自分を保つのは、とても苦しいって、想像できますよね。だって絶えず、周りのエネルギーと混ざり合っていますから!

その時、どうするかで、二つの全く違う道が開けます。
一つは、3つめの、空間としての私への道を選ぶこと。空間になるには、周囲に対して開き切って、そこにあるものすべてへのコントロールを放棄して、手放してしまうということでもあります。

つまり、ますます自分がぐしゃぐしゃになる、「怖い!」って思われるかもしれませんが、実はそれが唯一の抜け道。「怖い」と一時的に思われるものも、衝撃ゼロで、自分の中を通り抜けさせていくような方法です。

でも、ほとんどの人は、3への道を選ばず、逆に1に舞い戻るというか、相手との間に境界線を引き、分離を強めることで普通解決しようとしますよね。たとえば、 キツく感じられるエネルギーを発する人や場所を避けて、逆にいいエネルギーの人や場所にいつもいようとしたり。家の中や人里離れた田舎に引きこもる人もいます。

感じる力が強すぎて、きついので、無意識のうちに、感覚を麻痺させて自分を守ろうとする人もいます。

自分がカプセルやベールで覆われているようにイメージすることで、自分を守ろうとします。

ただ、そのいずれも、自分を隔離することをベースにしてます。

でも、そうやって「怖く」思われる相手から逃げて、自分を隔離しようとすればするほど、相手は恐ろしく見えてきたりします。分離が深まるほど、投影も強まるからです。エネルギーがいいものばかりを、選択して、そればかりに囲まれて暮らそうとする人がいますが、そのこと自体が恐れの身振り。だから、そうすればそうするほど、恐れは高まり、その恐れは、投影場所を求めます。で、とんでもない人との出会いがあったり、あるいは、病気になって、こんなに純粋な食べ物ばかり食べているのに、なぜ?? って思うことになるかもしれません💦

では三つ目の私に入っていく方法ですが、今回、瞑想会でご紹介したいなと思っているのは、前回に引き続き、身体を入り口にして、身体を超えていく方法だと思ってます。

割と確実に入れるので! 前回もご紹介させていただいた、身体に棲みつくワークです(ご興味ある方はこの記事、参考にしてください)。

まずは、エネルギー体と、空間の私の境目にある、振動する身体に入った後、空間になったときの感覚器官にあたる身体のコア(チャクラと呼ばれているものと重なります)をまずは確認するワークをすると、いい準備運動になります(ご興味がある方は、この記事、参考にしてください)。

その後、前回のように、身体に棲みつくワークに移ります。

ただ今回は、身体にしっかり棲みついて、空間になったときに、その「安全さ」を実感できる実験、エネルギーとしてではなく、エネルギーがただそこを流れる通り道として、自分を感じる方法など、ご紹介する予定です。

空間としての私の空っぽで、一体で、でも安全な感覚に馴染んで、いつでもそこに戻れるようになる練習、ご一緒しましょう! 

これができるようになると、心をクリアにするためにも、敏感体質からくる対人恐怖を改善するにも、きっと役立つはずです! 会の当日だけで、マスターするのは難しいかもしれませんが、参加者全員にお送りするビデオを使って、練習することもできます。

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