非二元のエッセンス

コミュニケーションの切り札としての病?

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私たちはすでに天国にいる
あらゆる人、あらゆるものが、愛でできている。
本当はそれしか存在しない。

にもかかわらず、私たちはわざわざ、全てを暗く、重く、狭苦しく見せる分厚いサングラスをかけて、「天国はどこ?」と探し回ってる。

このサングラスを粉砕させようというのが、次回の瞑想会のテーマだと、先日投稿させていただいたブログ記事で書かせていただきましたが、

この手のサングラスの中でも、ちょっと手強いものに、身体的な症状があります。

身体的な症状には、さまざまな要因が考えられます。そのすべてが、この「サングラス」に由来するとは、言い切れませんが、慢性的な不定愁訴の結構大きな部分は、そこから来ている可能性あるってみています。

私自身も、それに悩まされてきましたし、家族をはじめ、身近な友人の中にもたくさん経験者がいるので、そういう状況に陥りがちな人たちの共通パターン、かなりはっきりわかります。

というわけで、ここでは、それに、コースで学んできたことなどを加えながら、原因と思われること、打開策になると思われること、書かせてください。

妹や弟が生まれたりなど、様々な理由から、それまで自分に集中してきた親の注目や愛情が失われていくのに気づくと、子供って、よく熱を出したり、病気になりますよね。実際、それが愛や注目を取り戻すことに、とても有効だって、意識していないかもしれませんが、どこかで、知ってるからですね。実際にそれは、有効で、親の注目、即座に病気の子に集まります。

同じパターンを大人になっても繰り返しているように見受けられる人たち、いますよね。

病を愛情や注目を集めるために使うだけでなく、復讐のために使う人すらいます。
「苦しんでいる私を見て!あなたの犠牲になって、こんなに苦しんでいるのよ!」と、文字通り命がけ、身体を張って告発するためにわざわざ病気になってるんじゃないの?って見える人たちです。

自分がそんなメッセージを発していることに自覚している人、意識してそれをやっている人は、もちろん少ないです。子供の時から、これを愛情獲得戦略として使ってきた繰り返しから、潜在意識にこのパターンが染み付いていて、無意識のうちにやってるのですね。自律神経系とつながっているこの潜在意識のパターンが、実際に、身体の機能に影響を与えて、症状となって現れている。そう見受けられるふしがあります。

身体は、遺伝子と化学反応だけで機能しているという身体感を持つ限り、そんなこと、あり得ないって思えますが、
それは古い、間違っていることをとっくに証明されたされた世界観。
実のところ、身体は、潜在意識に書き込まれたたくさんの信念、思い込み、決めつけのフィルターをかけられた環境からの影響に絶えずさらされていて、
刻一刻と、敏感に反応していることが、
たとえば、ブルース・リプトンさんの本(『思考のすごい力』)など紐解けば、わかります!

ということは、今お話ししている、病気を愛情獲得戦略として使ってしまうパターンをはじめ、
身体機能に絶えず、影響を与えている、
潜在意識に書き込まれのパターンを書き換えていくことさえできたら、
身体機能も、どんどん変わっていくってことです。
根強い症状も、少しずつ緩和していくこと、見込まれます。私自身、そうでしたもの。

いろいろやり方があると思うのですが、ここでは、私自身試してみて、特に有効だった方法、ご紹介しますね。

まず、「こんなに苦しんでる私を見て!」と、犠牲者を演じることで、人の同情をひいたり、注目や愛情を集めようとしたり、告発したりしようとする、あらゆる心の動きに、自覚的になることです。微妙なものも、逃さないでいてください。すると、いろんな発見ができて面白いです。

たとえば、「なんで私ばかり、家事をして、不公平だ」と思いながら、集合意識や家の慣習の重みに太刀打ちできない、あるいは、経済的に相手に依存しているなど様々な理由から、家事をしている時。いつのまにか、身体の不調を訴えている自分に気づかされたりするかもしれません。あるいは、もっとシンプルに、怪我をしやすかったりします。そんな具合に、無意識のうちに、犠牲者を演じるセッティングを探し回り、こしらえているんですね!

自分にとって、必要だから、わざわざ病気になったり、怪我をしたりしてるというのに気づけるだけでも、大きな進歩です。

実際、病気や怪我は、便利ですよね。

自分が巻き込まれているプロジェクトや、コミュニケーションのプロセスから、身を引くための、万能の口実として、役に立ってくれます。

これ以上、このプロセスにコミットすると、自分がどんなに無能で、役立たずなのかが暴露されるかもしれない、愛されていないことが、逃れようのない形で明るみにでるかもしれない・・・

そうして、傷つくことから、免れようと、先に自分で自分を傷つけるのを無意識のうちに選択しているというわけです。

そういうさまざまな発見、あるかもしれません! ちょっと痛いかもしれませんが、解放感、あると思います! そんなふうに、発見を楽しみながらも、ぜひおすすめしたいのは、そんな自分を、そこで、即座に、癒すことです。

具体的にどうするかというと、
その時感じられる不快感から
ストーリー(自分を含め誰かや状況のせいにしたりすることなど)をできるだけ外し、
生の、直接体験できる状態でとりだしながら、
それを丸ごと、本当のあなた、スピリット、純粋な気づきとしてのあなた・・・にそれをゆだねていく、あるいは、溶かし込んでいくんです。

うまくいくと、その後には、安らぎと、守られている感じや、一体感が残ります。
そして、こんなひねくれた、込み入った、犠牲者としての演技など、何にも必要なかったんだ・・・
という洞察が残ります。

この洞察が、その時々、具体的にどんなふうに現れるかは、状況により、さまざま。

それでも、共通したところはありますね。それは何かというと、バウンダリーの問題が整えられていくことです。

みんなとつながる共通の本質である、スピリット、純粋な気づきで自覚的にいられればいられるほど、人との間に、しっかり境界線が引けるようになるというのは、一見、矛盾していますよね。

でも、実際そうなんです。自分が心身ではない、心身をかくまう、すべてとつながったスピリットであると自覚できればできるほど、心身を客観視できるようになるし、それが有限で、どこまでも頑張れないことを許せるようになるし、そこからくる心身のさまざまなニーズを理解して、愛情深くいたわることもできるようになります。

そのために、たとえば、できることとできないことを、きちんと線引きして、罪悪感や自責の念なしに、できないことはできないといえるようになります。

一言で言えば、コミュニケーションをきちんとできるようになるってことです。

傷つくことへの恐れから、これまでは中途半端なところで身を引いて、
代わりに身体を張って、「苦しんでいる私の姿を見て!」という奥の手を使って逃れてきたコミュニケーションを、最後まで完徹できるようになるってことです。

まずはスピリット、純粋な気づきとコミュニケーションを取る癖をつける。すると、コミュニケーションは自ずと整うって言ってもいいかもしれません。

そうした縦の関係のコミュニケーションから生まれる、安心感と、クリアさ。それが、横の関係のコミュニケーションをきちんと行う勇気を与えてくれるのです。

そうすれば、病気といった小道具をつかって、込み入った、子供っぽいコミュニケーションを仕掛ける必要もなくなります!

敏感体質から不定愁訴が来る場合

いわゆるHSPと呼ばれる人や、スピリチュアルに敏感な人は、バウンダリーの問題を抱えている人、多いですよね。人の気持ちが自分の気持ちのように感じられて、区別がつかなくなってしまう。特に強いパーソナリティの人と一緒にいると、圧倒されたり、振り回されたりしてしまったり・・・私自身も、さんざんそれに悩まされてきたので、どれほど辛いか、わかります。

そこからくる不定愁訴で悩んでいる方もいらっしゃると思います。そんな方は、今まで私がお話しさせていただいたことを聞くと
「苦しんでいる私を見て!」と演技する余裕もなく、「実際に苦しいんだ!」と反論されるかもしれませんね!

そういう方に、一つ、申し上げたいのは、
この苦しみの中には、「私=心身」という前提がまだ隠れていること。

つまり、
私は私が感じていることではない
感じていることがありのままであることを、ゆるし、かくまう空間なんだ

というアイデンティティの引っ越しを完徹すれば、うそのように、楽になるってことです。

だって、「私 ≠ 心身」だということが、本当に腑に落ちて、実感できるようになると、
自分の心身が、いくら他の人の心身と混ざり合おうと、影響を受けようと、問題ではなくなるからです。

逆にその体質を利用して、人を助けたり、自分や人に対する理解を深めたりすることもできるかもしれません。

私は心身ではない、例えば私の場合、堀田真紀子と呼ばれる身体や人格の総体ではない。たまたま今それを利用しながら世界と関わっているスピリット、純粋な気づきなんだ。

心身とのこの境界線だけしっかり引ければ、あとは自ずと整う!
人や状況との境界線のなさは、なんにも気にならなくなるどころか、大歓迎になるというわけです!

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