身近な、大切な人たちに、自分の状態を、率直に、正直に話しておいて、理解してもらうと、スピリチュアルな道をいくのも楽になるし、またその人にとっても、あなたとの関係性が、ずいぶん楽になる話をしました。
ただこれは、かなり慎重にやる必要あります。ヘタをすると、亀裂がますます深まってしまうことになるからです。
同じ体験を共有していない人に、自分がどんなふうに世界を見ているか、説明するときの一番のコツは、 余計な警戒や反発をまねかないようにすることです。
だって、私たちが伝えようとしている当のものは、警戒や反発を知らない、安らぎと愛の最大値。それが、おそれや争いのもとになるとすれば、元も子もありません。
と言っても難しく考える必要はありません。常識内にあるような配慮をすればいいと思ってます。
たとえば、無宗教、無神論者の人の前で「神」という言葉は使わないとか。といっても、相手がクリスチャンにだったら、使った方がいいかもしれません。クリスチャンといっても、教義にとらわれがちなタイプで、話を聴きながら、「これって、私たちが信じてる『神』とは違うよ」と言い始めそうな方だったら、避けた方がいいかもしれません。
そういう対立が生まれそうな状況を回避するためには、
これが絶対正しい、これが権威だ・・・といった態度を手放したり
そういった含みをもたない、価値中立的な言葉を使うようにすると、
うまくいくかもしれません。
たとえば、特定の宗教、教義、グル、指導者、集団の名前はなるだけ口にしない。言っている本人にはそのつもりはなくても、党派、セクトとしてとられて、それにまつわるさまざまなネガティブな連想、投影を投げかけられるおそれがあるからです。
中立的だって意味で、科学的な態度で望んだり、使えそうな科学的なモデルを借用するの、いいみたいです。
科学も、前提に唯物論があるのがほとんどだったりと、
本当は価値中立的とは言えないのですが、
少なくとも、真理への情熱を持っていて、真理のためだったら、いつでも、自分がこれまで信じてきたことを手放したり修正する、開かれた態度が前提にあります。それって、スピリチュアルな道を、途中で変なところに迷い込まずに、先へ進むためにも、大切なことですよね!
そういう開かれた、誠意のある態度、謙虚な態度で、「もし私が間違ってると思ったら、遠慮せずに言ってね!」って雰囲気でのぞむと、話が通じる可能性、高くなると思います。
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では、私の場合、どうしたかについての、話にすすみますね。
相手は、無宗教、無神論者で、科学好きな人だったので、ジェフリーさんがそういう時に、これはいいってすすめていらっしゃった、マズローの欲求階層の理論をちょっと使いました。
彼がこれをすすめる大きな理由は、アメリカだと、これについて知らない人はいないほど、有名な理論だからです。日本ではアメリカほど、誰でも知ってるとは限りませんが、簡単にその場で説明できるし、かなり説得力を持っているので、相手は知らなくても、構いません。
それはどういうものかというと、私たちの欲求、ニーズって、下から上に
1、生存欲求→2、安全の欲求→3、愛情・所属の欲求→4、達成・承認の欲求→5、自己実現の欲求
ピラミット状の階層をなしていて、下の欲求が、ある程度満たされて、「もうこれはいいや」と思えてはじめて、次の欲求にフォーカスするようになるというものです。
まずは1と2の欲求段階のお話から。日本でも、「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますよね。食べ物がなかったり、安全が常におびやかされていて、生きていくのが精一杯の状況だと、まずはサバイバルすることにフォーカスが合わせられるし、行動の動機も主にそこにあることになります。そこがある程度安定して満たされて、フォーカスから外れると、3、人に優しくして、周りの人たちといい人間関係をもちたいなとか、4、人に認められる生き方をしたいなとか、5、自分らしい生き方をしたいなって、思えるようになるというわけです。
ただ、これは一般的な傾向にすぎません。もしこれが、例外なく全てに当てはまるとすると、生存も脅かされるような貧しい国、貧しい階層、あるいは戦争中のような状況から、傑出した人は現れないことになります。でも、そんなこと、全然、ないですものね!
また、ピラミッドの下から上へと欲求のフォーカスが移行しても、下の欲求が完全に消えることはありません。フォーカスする場所が変わるだけです。また、上に移行するにはしたの欲求が「完全に」満たされなければならないというわけではありません。階段を上に登るためには、その段がふにゃふにゃしていなくて、ある程度固まっている必要がありますが、別にカチカチにかためられている必要はないのと同じです。
欲求階層の3から4への移行は、たとえば典型的には、「野心を実現するために、家族や親類縁者、顔見知りばかりの住み慣れた故郷をあえて後にして、都会に出ていく」態度として現れたりします。愛に満たされたぬくぬくとした環境を捨ててもいいから、競争的な環境の中にあえて飛び込んで、自分にどこまでできるか、試してみたいっていう欲求ですね。
欲求階層4から5への移行もおなじみのものです。「競争はもういい、お金も名声も、安定した生活すらもういらない。自分らしく生きたいんだ」と脱サラするといった形で、典型的に現れる欲求です。「自分らしさ」を極めて、新しいビジネスを始めたり、アーティストとして活動し始める人もいます。
といっても、特に日本の教育システムって、まだまだ4の欲求を満たすにはどうすればいいかってところにフォーカスがあるのが現状です。
そんなわけで、世代や環境にもよると思うのですが、自己表現の訓練などほとんど受けていません。5の欲求に動機付けられるようになった人は、いちから手探りで始めなければならないようなところがあって、苦労することも多いです。
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これが、マズローの欲求階層の理論ですが、実はこのマズロー、この超有名な理論を作った後、晩年、「自己実現」は最後の欲求ではないこと、「自己を実現するより、自己から解放されたい」という欲求が出てくることもあるって、言っているんですね。それを彼は「自己超越」と呼んでいるのですが、ただそのことは、あまり知られていない。
だって、「自分」のヴィジョン、ポリシー、主義、美意識、好き嫌い、プライド、相応しいこと、そうでないことを絶えずチェックしながら、セルフイメージにかなうように生きていくって、やってみると、結構窮屈なことだし、疲れることだし、場合によっては孤立や対立を招くことすらあるからです。
「自分」というこのパッケージを引きずってることから、そもそもあらゆる苦しみが生まれるのではないかと思って、何とかそこから出たいと思う人も出てきます。
あるいは、そもそもそんな「自分」って、本当にいるの? 中身空っぽの虚構ではないの? と、いろいろ検証し始める人も出てきます。私が最近おすすめしているようなダイレクト・パスの方法がそうですね。
いずれにしろ、あらゆる手段を使って、この「自分」から、抜けでること、解放されることに、人生の一切合切が動機づけられ、ただ、そのために生きてるような人も、数は少ないけれど、いる。それまで「自分」がいたところを、一体感のよろこびや安らぎが満たすようになるから。
「自己超越の欲求」から生きている人って、今時点だと、人口の1パーセント未満にすぎないので、無視されがち。
でも、一世代、二世代前までは、3の「達成・承認の欲求」に駆られて、たくさんの志ある若者が田舎から出てきたように、
また現代、5の「自己実現の欲求」に従って脱サラして、自分らしい生活を始める人がぼちぼち出てきたように、「自己超越の欲求」に動機づけられて、生きている人たちが影響力を持つ時代、遅かれ早かれ、来るかもしれないって思ってる・・・
ざっとこの辺まで話したところで、「実は私もその1人なの」と切り出すわけです。
といっても、「私は進化の先端を行っているんだ!」といった優越感を持ってると受け取られないように注意しています。
実際には、そんなの、持ちようないですよね(笑)。逆に超マイノリティーであることから、苦労することも多く、あなたの理解や協力、助けがぜひ必要なんだと切り出した方が、特にあなたが女性で、話の相手が男性だったりすると、うまくいくかもしれません。
助けが必要な部分は、あなたの今の状態によってさまざまかもしれません。
たとえば、あなたがまだこの領域に入ってまだ日が浅い場合、古い「自分」エゴの取り消しのプロセスが進行していて、デトックス的なプロセスをくぐっていらっしゃるかもしれません。これまで自分を動機づけていたこと一切から、リアリティが失われてきたせいで、一時的な動機の空白、アパシー、方向喪失に見舞われていらっしゃるかもしれません。
そんな時は、それも正直に話しながら、しばらく情緒不安定だったり、無気力に見えるかもしれないけれど、一時的なもの、いつまでも続かない。だから、しばらく迷惑をかけるかもしれない、でも、この領域に入った誰もが通る道で、心配する必要はない。そのことを、理解して欲しいって、伝えることができると、ベストですね。
実際、エゴの取り消しに伴う動機の空白状態が、一体感にインスパイアされた充実した状態へと移行するのは、時間の問題だからです。ジェフリーさんは、個人差はとてもあるけれど、平均すれば、この期間は、2年ほどかかると言っています。
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その時期を過ぎても、他の点で理解や協力が必要になってきます。たとえば「今、ここ」に意識のフォーカスが集まるので忘れっぽくなること。あるいは、「自己」、エゴに動機づけられて生きている人たちのストーリーに感情移入したり、リアリティを感じるのが難しくなっていること。
あなたに関することで、そうすることになっても、それは、あなたを蔑ろにしているから、あなたのことがどうでもいいからでは、ないこと。いくら頑張っても、生理的に、それができなくなっていて、それは誰を相手にしていても同じなんだってことを、理解してもらう必要も出てくるかもしれません。
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もっと進むと、行為主体doerの消失がはじまります。
そうすると、「自分」がこうしたい、と思う代わりに、場の流れ、インスピレーションやシンクロニシティでものを決断することが多くなるんですね。「私」ではなくて、場の全体からうながされるように、物事を決めていく感じです。1人でやっている限り、それは自然なことで、そこには何の迷いもありません。
ただ、私の身近な人の目から見ると、そこに一貫性がないのが、気になる様子です。
たとえば、私がある行動をとると、彼は私が「そういう主義、そういうポリシー、そういう趣味の持ち主なんだ」と思うみたい。で、次の似たような機会に、今度は、正反対のことをしている私を見て、びっくりするんですね。それで、「あなたは一体何者なんだ!理解できないよ!」と不安がられるわけです。
それについても、話しました。「自分」ではなくて、取り巻く「場」の全体が、決めていく、私が「する」というより、物事が自然に「起こる」ように感じられることです。
そうすると彼の方では量子力学のことなど話し出して、それって考えられると、納得してるようでした。
で私の方では、「といっても、流れにそった自分のやり方が、いつも本当に正しいのかどうか・・・私には正しく感じられるけれど、もしあなたの目から見て間違ってる、常軌を逸してると思ったら、言ってちょうだい!」とこれまた、協力を仰ぐことにしました。
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これは、対話の一例にすぎません。相手次第で、同じように切り出してうまくいくことも、いかないこともあるかもしれません。
ただ、オープンな、開かれた態度でいること、
相手に伝わる話し方を模索すること、
中立的な言葉を選んだり、謙虚な、どちらかというと助けを求める姿勢でいることで、自分の正しさや優位を主張するパワーゲームに入らないこと
などは、参考になるかもしれません。
それと、相手が親や家族など、身近な人である場合は、何より、感謝の念を伝えることにしています。
というのも、今、お話ししたように、マズローの欲求階層理論のそのまた先に、自己超越の欲求が現れるのだとすれば、自分が今、それを現に感じているのは、とても恵まれた、特権的ともいえるようなことだからです。
生活のことを特に心配しなくてよかったり、安全で愛情に満ちていたり、やりたいことを追求するのをゆるしてくれるような状況に、自分がこれまで身をおくことができたからだとも言えます。それは、まさに家族をはじめ、周りの人たちの協力あってこそのことです!
