私がおすすめさせていただいている方法や、他の非二元的な道を歩み始め、正しい軌道に乗り出すと、人によっては急速に起こることもあるようですが、ほとんどの人は徐々に、分離した心身=自分だという意識が希薄になっていきます。
身体の皮膚の境界の中に、私がいるという意識がどんどん薄れていくのですね。
その代わり、あらゆるものに、偏在して広がる、広大な意識の方に、私を感じるようになります。そこで感じられる静かな喜び、一体感、愛や美しさ、安らぎは、何者にも代えられない宝物になります。
身体の皮膚の境界の中に私がいることを前提に、俗に「エゴ」と呼ばれている心の働きの一切が生まれています。でも、その前提、というか、担い手が、消えるわけですから、この心の働きも、続きようがありません。
昔はあんなに気になっていたこと、とても恐ろしかったこと、パニックになったり、ノイローゼみたいになってたことが、今は全然気にならないわ・・・ってびっくりすることも、あるかもしれません。私など、最初は、自分は認知症になったんじゃないかって疑ったくらいです。
ほとんどの悩みの大元だったものが、消えるわけですから、そこから派生していたあらゆる悩みも、嘘のようにごっそりと消えるわけですね。素晴らしい解放の体験になります。
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ただ、別の種類の悩み?が生じます。そんなふうに世界を体験していない人と、どんなふうに、関係するかということです。
こちら側からは、実を言うと、問題は見えません。ただただ、一体感があって、すでにこれだけつながっているから、十分だって思います。
でも、向こうは、この一体感に、アクセスしていないので、その人と自分の、物事に対する反応の仕方の違い、言葉や行動のレベルでの小さなくい違いなどを、まるで拡大鏡にあてるようにして吟味しながら、なんだか、とても気にしている様子。家族や親友など、深い関係にあればあるほど、そうですね。
でも、こちらからみると、ほとんど蚊がさすような、小さなことにしか見えないのですが。
というのも、まずは圧倒的な一体感がベースにあるからです。
もう一つ、「私は心身だ」って思っている、大多数の人たちが、一喜一憂して、悩んだり、わくわくしているストーリーにリアリティを感じられない、それを共有できないというのもあります。
たとえば、家族や昔の親友に久しぶりに会って、その人の悩みを聞くことになったとします。でも、こちらからみると、それが、なぜ「悩み」なのか、全然リアリティ感じられないし、わからない。だから、「そうなの・・・それは大変ね」と相槌を打つことが精一杯。そんなシチュエーション、体験されたことある方、いらっしゃるかもしれません。
もちろん、相手が、そういう全ての悩みの根っこにある、エゴを手放す解決法を受け入れてくれる人だったら、いくらでも、アドヴァイスできるし、自分の体験も話せるし、面白いことになります。
でも、それを望んでいない人に、この手の解決法を押し売りするわけにはいきません。
「エゴをめぐるストーリーに入り込めない」この問題に、
男女とか、上司と部下といった力関係がはいってくる場合、
そして特に、こちらの方がこの力関係の弱者の立場にいる場合、
関係がずいぶん、紛糾することがあるのにも気づきました。
こちらの方では、経験や想像力を総動員して、なんとか、相手が入り込んでいるストーリーに自分も参加しようと努力してみるのですが、
何しろ、そのストーリーに相手が入れ込むエネルギー源になってるエゴが、こちらでは、とても希薄になっているので、とっても努力がいります。
せいいっぱいがんばっても、どこか、演技している感じがつきまといます。リアリティを感じられないので仕方がありません。
そこのところが、なんとなく相手に見抜かれてしまうのですね。
でも、その相手の方は、エゴが希薄なこの状態については、自分で体験したことがないので、わからない。だから、自分が信じているパワー関係のストーリーの中で、それを解釈するしかないわけです。するとどういうことが起こるかというと、「自分をを馬鹿にしている」「なめている」「生意気な部下だ!」って思いこんでしまいます。
でもこちらとしては、形のレベルで相手が「多分、こういうことを望んでるんだろうな〜」と思われることを想像しながら、持てるあらゆる能力を駆使して、相手に合わせてるつもり。馬鹿にするどころか、一生懸命尊重しようとしてるわけです!
でも頑張れば頑張るほど、相手にはどうやら白々しく目に映る様子。そのうち怒りが爆発する時が来ます。
こういうお話をするのも、もちろん私自身の体験もありますが、スピリチュアルな道を歩み始めた人が、家庭や職場での人間関係、場合によってはいじめ、暴力に悩んでいるという話を、小耳に挟むようになったからです。
もちろんこの状態を、スピリチュアルな道をますます進めるための肥やしにすること、できますよね。たとえば投影理論を使えば、自分の中にまだ残っているエゴの残滓、権力や権威志向なところを、目の当たりにしてるんだなって、解釈できます。私も基本的にそうやってとりくんできました。
ただ、それに加えて、今、お話ししたような具合に、状況を実際的に把握して、それにもとづく、実際的な行動をとる対処法もオプションとしてあると、心強いとも思います。
一つ参考になるかもしれないのは、
私たちは、分離した自己を自分だと思っている人たちが大切にしているストーリーには入り込めなくても、
今、ここで、存在を共有している一体感、そこからくる愛だったら、たっぷりあること。
それを、普段から、いろんなところで、表現してみるのはどうかということです。
芸術家のアプローチに似ています。あえて形にするわけです。たとえば、言葉遣いや、花を飾ったりする心遣いや、ものを人に渡す時のパッケージの仕方や、本当に小さいことで構わないので。その積み重ねが、場の雰囲気を、愛に満ちたものに保ってくれます。
そういう雰囲気づくりだったら、私たちにもできますものね。
道を進むにつれて、「形」を超えた、一体感の安らかさや愛にどんどん沈潜できるようになります。あなたが、知覚から純粋な気づきに突入する「美の道」を主にいく、芸術家的なタイプの人だったら、その安らかさや愛をあえて、「形」にするのは、自然にできるかもしれません。
あるいは、そこから形の世界に戻るのは、とても億劫に感じられる方もいるかもしれません。そこを、あえて、ちょっと「形」にして、場を共有するみんなを和ませる。それを心がけると、ストーリーに入り込めないところを補えて、関係性、少し楽になるかもしれません。
私たちにとって、一体感も、愛も、理解も、尊敬の念も、ここに、ある。自明の事実です。だからついつい「形」にして表す必要などどこにもないと思ってしまうのですが、
他の99パーセントの人は、「形」にしないと、それが「無い」って思ってしまう。その人の欠如感の度合いによっては、もう絶望的にそれ(つまり、形に表された愛や理解や尊敬の確証)を求めていることもあります。
そのことをどこか心に留めておいて、機会とインスピレーションを感じるたびに、
多少面倒くさいな〜って感じられても、「形」にする。つまり、愛情深い言葉を一声かける・・・といったことを心がけると、ちょっとは人間関係スムーズになると思います。
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世界の体験の仕方の違いからくる食い違いは、もっと微妙な形をとることもあります。
この道をすすむと、フォーカスがほとんど、今、ここ、この瞬間集中してきます。唯一の実在する時である今に、心地よく住み着いて、安らいながら、しっとり、うっとりと生きる感覚は、本当にすばらしいものです。
ただ、おかげで、忘れっぽくなることも多いです(笑)!
それを自覚すると対策を練ることもできて、
今は、アラームやお知らせ機能付きのカレンダーもあるので、それを駆使したり、ポストイットに予定を書いて、絶対見落とさないところに貼り付けることで、ある程度対処できます。
自分だけに関わることだったら、「またやっちゃった!」と笑って済ませますが、そこに人が関わってくると、人によっては、「あなたにとって、私とのことなど、どうでもいいのですね。大切なことではないのですね!」と、愛情や尊重が欠如してるからだと受け取ることもあるみたいです。
対策としてはやっぱり普段から、その人との間に、先ほどの「あえて形にする」安らぎと愛の表現を積み重ねておくことで、こんな食い違い、些細に見えるように予防線をはっておくことですね。
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もう一つ、どんな場合も、一番根本的な対策として、
身近な、大切な人たちに、自分の状態を、率直に、正直に話しておいて、理解してもらう方法、あります。
ただこれは、かなり慎重にやる必要あります。その人を警戒させないように、その人にわかる、通じる言葉を選びながら話す必要も出てきます。
でも、うまくいけば、たとえば、スピリチュアルなことにアレルギーがあるような人にも、理解してもらうこと、可能です。私、最近、それに一つ成功しましたから! その人も、これまでの私の不思議な振る舞いの謎が解けたと安心してくれたし、関係性、見違えるようによくなりました。
その際、大いに助けられたのは、アメリカの心理学者、Jeffry Martinジェフリー・マーティンさんによる、オンラインのコースExplores Course 「探究者コース」(英語ですが、最初の部分、今、無料で受講できます)です。
欠如感に代表されるような、エゴの条件付けの影響をほとんどうけなくなり、状況に左右されない安らぎの源泉を探り当てた人たちを彼はFinder「発見人」と呼んでいます。
で、彼は、その人たちと一人一人会って、インタビューを重ねてきた方です。その結果、「発見者」たちの体験のすばらしさも分かったのですが、同時に、彼らが、「発見者」でない人たちと接触する時に陥りがちなトラブルのパターンも、見えてきたそうです。
でも、それも、ちょっとした工夫で、かなり改善すること、できるんですね。そんなアイデアをシェアしながら、Finder が、社会的にも生きやすい状況をつくろうというのが、このコースのテーマです。
で、スピリチュアルなことにどちらかというとアレルギーがある人に どうやって、自分の状態を理解してもらうことができたかですが、話が長くなりそうなので、次回にしますね(笑)。
