実は私にも、健康オタクだった時期がある。でもそれは、健康というより、高揚感のためだった。「さあ今日から、ベジタリアンするぞ」とか、「ローフードやるぞ」「呼吸法やるぞ」など、普通の人が真似できないような、何かとっておきのライフスタイルをはじめると、これまでとは全く違った、新しい生活が待ってる。超健康で、若々しく、キレイ、エネルギッシュになれる・・・など。始めたばかりの時には、体が軽くなって、確かに気持ちがいい。それまでずっと悩まされてた不調から解放されることもある。
ただ、エスカレートすると、食事や身体の操作「だけ」で、「救われる!」みたいな幻想を抱いてしまった。この療法、養生を続ければ、心の問題含め、人生すべてがうまくいく、みたいに。
でも、過ぎたるは及ばざるがごとし。食事療法や健康法を始めたばかりの時に感じた軽やかさ、気持ち良さも、だんだんマンネリ化して感じられなくなる。と、さらに誰もやっていないような裏技をやったり、スーパーフードをとったりして、また気持ち良さ、高揚感を味わいたくなる。一種の中毒になってしまう。それに
それに厳しいコントロールの反動が出て、ジャンクフードを時々自殺的にたくさんとっては罪悪感を溜めこんでしまう・・・などなど。罪悪感がどんどん高まるにつれ、それが周囲に投影されて、あらゆる人がだらしなく見えて来る。たとえば、自分がタブー視していることを、堂々とやってる他者がゆるせない。隣にお肉を食べてる人がいると、お説教をはじめたくなったり、耐えられなくなって、席を外したくなる・・・など。
その後、『奇跡のコース』に出会って、そこに書かれた言葉に、目からウロコが落ちることがあった。それは、病気の1番の原因は、身体に過剰な期待をかけて、身体には本来できないことを、身体にさせようとすること。
たとえば、「自分は完全で、覚醒していて、強靭だ!」という感覚や、あるいは「安全で、守られてるから、うんとリラックスして安らいでも大丈夫」とくつろぎ、幸福で満ち足りてるって感じる。これらを味わいたかったら、私たちはそれらを与えてくれる源泉を、自分たちの心の中に探す必要がある。
瞑想したり、物を考えたり、イマジネーションを駆使して、心にかかることを表現するうちに、心がだんだんスピリットに同調してくる。それにつれて、強さも、安らぎも、幸福感も湧いて来て、まず、心に広がり、満ちて来る。
心に満ちて来ると、それは身体全体にも広がって、身体もどんどん力がみなぎり、健やかで、自由に動き出す。そのときには、たいていの身体症状も、改善するか、消えている。身体的にはどんなに悪条件下にあって、どこかが痛かったり、居心地の悪いところにいても、だんだん気にならなくなり、忘れてしまうことだってある!
つまり心が先。心をいつでもスピリットに同調させて、スピリットを表現させていれば、あとはすべてうまくいくというのが、『奇跡のコース』の立場。そのためには、何もいらないし、何にもしなくていい。完全に自分の心の力、スピリットと同調する能力、それにいつでも跳びついて、一緒に優雅なかたちを表現して生きていく、自発性、創造性があれば、済む。
でも、物質中心主義の時代は、こうした心の力を発揮するのをとてもおっくうがる。目に見えるもの、物質的に操作できるものしか信じない。そんなものだから、身体に特定の物質を注入したり、特定の習慣をつけることで、心の中にしか、問題の原因も治癒力の源泉もないようなものまで、改善してもらうことを期待してしまう。いわば、容器にすぎないものに、中身を分泌したり、中身を変容させる役割まで頼むようなもの。それは当然出来ない相談。身体の方でも、困ってしまう。身体は、心の方から、自分を満たしてくれる中身、たとえば、よろこびややすらぎが満ち溢れて来るのを待ってるのに。
でもあくまで、身体に中身の責任も取らせようとする私たちは、自分の心のありようは放置したまま、あらゆる方法で身体をいじくりまわし、コントロールしようとする。アルコールやタバコ、ドラッグをはじめとした、刺激の強い薬物に走るのはその代表例。ほかにも、食事療法や健康法やスポーツの中に、高揚感や救済をもとめて、どんどんエスカレートしていくのも、しかり。
『奇跡のコース』によると、そんなふうに本来身体の管轄下にないこと、できないことを、無理やり身体に期待してやらせようとすることが、身体にとって1番の負担になってるという。
「もし心が、身体が果たすことのできない役目や、その能力を超えた目的や、身体が達成することのできない課題な目標を身体に割り当てて酷使しなければ、身体は丈夫で健康でいるものです」(ワークブック レッスン135 7段落目)
気分の高揚感を求めてどんどんエスカレートしていく身体のコントロールや、薬物使用が身体にダメージを与えるのは、顕著で、わかりやすい。
もっと一般的に見られる「酷使」としては、なんとなく調子が悪い、気が重い・・・などなど幸福ではない原因のすべてを、無意識のうちに「身体のせい」にして、精神的に責め立ててしまうことが身体にもたらす影響だ。
そんなの、覚えがないよと言われるかもしれない。でも、仕事に気乗りがしない、冴えない気分のとき、栄養ドリンクを飲むのもその一兆候だって言える。そんなおじさんくさいことしないという人も、カフェインたっぷりのコーヒーを飲もうとするだろう。それは、「元気をだしてくれないと、だめだなあ」と、身体に責任を押し付けている証拠だ。
もしそれらすべてが心の問題、もっと言ってしまえば、心がスピリットに同調していないから来てるんだってことに気づいたら、メディテーションをしたり、思いにふけったり、音楽を奏でたり、絵を描いたり、文章を書いたりして、するはずだから。そうやって心がスピリットに触れ生き生きしてくると、自ずとそれは身体に伝わって、身体も力がみなぎってくるし、覚醒感も味わえるはず。このやり方をとる限り、私たちは身体に管轄外のこと、所詮できないことをさせようとして、拷問にかけ酷使しなくても済む。
と言いながら、かくいう私も今、コーヒーを飲んでるわけだけど。
『奇跡のコース』のベテランの人も、私たちが自分の心の力を使うことにまつわるおそれは本当に根深いので、薬に頼り切って生きてる人に、いきなり薬をやめさせても、おそれに圧倒されて、死んでしまう。おそれを手放し、心に力に頼ることを学んだ度合いに従って、物質的な支えを少しずつ、一つずつ、手放すことを勧めてるみたい。そういうこともあることだし、しばらく私も、コーヒーの力には頼ることになりそう。それも、まあ、いいか。
